<<通巻16号>> 16:トラワレ・ハナタレ

記事提供元:北園茶房
執筆 : 星雲御剣/注釈 : 清水銀嶺

16:トラワレ・ハナタレ

 ココまでの考察で、オタクのメンタリティ、その基礎部分の考察を進めてきた。
 まだまだ、この部分についての考察には興味が尽きないが、本稿の目的は「オタクで成功すること」なので、そろそろ次のステップに進みたい。
 このステップで重要なのは、オタク独自の「排他性」について考察することである。
 前回までの基礎考察部分でも再三述べてきたが、オタクは保守的であるが故に、時に排他的である。
 一方、各種のイベントにおける協調性などを見ると、大変に活動的で交流的でもあるという、一見すると互いに相反する特性がある。これはどういう事なのだろうか?
 答えは実に簡単で、「話が通じる相手には簡単に心を開く」のである。(補1)
 多くの場合、オタクというのは、その身辺に理解者が少ない感性を持っている。
これは、前回までの考察にあるように、その根底にあるモノが、ある種の習得訓練を必須とする、引き継がれた情報の連鎖にあるからだ。これを、初対面の人間にいちいち説明するのは大変な労を伴うのは想像に難くない。(補2)
 ここで問題になるのは、オタク全体の中で、かなりの割合が、他者に理解して貰うことを放棄しているという事実だ。
 オタクとして、ごく個人的に楽しみたいのならソレもありだが、本稿の目的は「オタクで成功すること」にあるので、ソレでは困る。
 排他的オタクは、例えば同人誌即売会で売り手側になっていても、その目的は創作による自己消化にあるためにあまり売れ線とは言い難い(少数の固定ファンは付く場合があるが……)。
 一方、売れ線の大手は多くの場合、共通言語が通じる場合において開放的である。
 この差は、自身のこだわりに「捕らわれて」いるか、「解き放たれて」いるかなのだ。
 以後、この二者をそれぞれ「トラワレ」、「ハナタレ」と呼称して考察を進めてみたい。


★補1
 岡田斗司夫の「オタクはすでに死んでいる」だったかで、「共通言語を持つオタク国の住民」という様な表現があったと記憶しているが、さすがはオタキング、この表現はまさに正鵠を射ている。
 多くの場合、この共通言語は特定のキャラクターに依存し、そして古来より信仰されてきた神仏もまたキャラクターの一種であると考えるなら、特有のキャラクターという神を持った共通の信仰に支えられた集団である、という見方も出来る。
 信仰集団であれば、伝統には保守的で異教には排他的、それでいて信者獲得には積極的という、一見矛盾した行動も納得が出来るわけだが……この方面は考察を間違えると危険なのでこの辺にしておく。(一方、その観点からすると『らき☆すた』で神社が町おこし、というのもあながち的外れでもないのだなぁ、と個人的には思う)
★補2
 この労力を削減してくれる「出会いの場」と言うのが、オタク・ビジネスの基本である。
 限定イベントと言うのは、要するに説明不要の同士が集う場なのだ。

次回は「17:天才? 富野監督の『こだわり』方」
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&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&& 執筆者紹介 &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&
◆星雲御剣(せいうん みつるぎ)
 80年代後期ファミコンブームの頃から各ゲーム誌で攻略記事を担当。
 ゲームのみならず、マンガやアニメにも造詣が深く、某大手出版社の入社試験では、面接官に聞かれたウルトラマン、仮面ライダー、ガンダムの顔と名前を全部言い当てたのが合格の最大の決め手になった、と言われている(笑)。
 独特のオタク感を実生活に反映させる生き様を模索、実践する求道者。
◆清水銀嶺(しみず ぎんれい)
 唐沢俊一氏主宰の『文筆業サバイバル塾』第一期塾生。
 既刊『メイド喫茶で会いましょう』(共著)
 『ためログ』にて記事を執筆。

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