「オタクというのは2次元に萌えるものだと思っていたのに、どうして三次元の実在の女性に萌えるのか」という質問をされたことがある。
そもそも、「オタクは二次元にしか興味が無い」というのが誤解ではあるのだけれど、オタクのルーツに漫画やアニメという二次元媒体が大きく関係しているため、仕方の無いことなのだろう。
今でこそ小説は文学という地位を築いたが、昔は小説を読んでいるような人は必ずしも尊敬されていなかった。
没頭していると、周囲から言われる言葉は今と同じ、「もっと現実を見なさい」だった。
これもまた、時代の流れの中で価値観が変わってきたことで忘れられた、「同じことの繰り返し」なのかもしれない。
そして、小説を読む愉しみが漫画やアニメを観る愉しみと同じように、実体を伴ったメイド喫茶を愉しむのもまた同じである。
すなわち、「日常と違う仮想世界」という観点で愉しんでいるのだ。
メイドというキャラクターを通した一種の妄想で世界を補完し、テーマパークで遊ぶように。
メイド喫茶の中には店員をモデルにした、でも似ているような似ていないようなというイラストをあしらったキャラクターグッズを展示したり販売している店があるが、それは浮世絵みたいなもので、記号化されているがゆえに同一と認識されるのだ。
見立て文化の項で触れたように、そもそも人間は情報を断片化して記憶している。全ての情報を余すことなく記憶するというのが無理だからである。
例えば、似顔絵などはリアルに描いても「似ている」とは認識されにくい。むしろ、目の位置や顔の輪郭などの特徴を残して簡略化した方が、より多くの人に「似ている」と認識されるそうだ。
その点において、二次元である絵に魅力を感じるのは、記号化された特徴の中から自分の好みの部分を選択したうえで強調して認識できるからこそ、受け取り方の自由度が高いのが理由として考えられる。
そしてそれは、三次元の実在の人物になっても同じことで、分かりやすい特徴を備えていると、多くのファンを獲得しやすい。それがいわゆる個性というものである。
アイドルなどであれば、その個性は個人に帰属する訳だが、個人ではなく服装的な特徴に特化されたのがメイド喫茶の魅力なのだ。
だから、あくまで客は「メイド姿の店員」に萌えているのであり、店員のプライベートには関わらずに、口説く真似に留めるのがまた粋な遊びなのである。
今週もよろしくお願いしますm(__)m
は〜い、朝から焼きソバ大盛りを食べて超ご機嫌なQ太郎で〜す。おはようございま〜す、おはようございま〜す、おはようございま〜す。皆さん元気にしていましたかぁ?Q太郎は…