「………これが………、これが命くん…なんですか………? この光の球が、命くんなんですか!?」
制服の胸元と左の袖口を自分の血で染めた私は、跼坐(しゃが)んで、排球(バレーボール)くらいの大きさの光の球を両手で抱えた。
光の球は鋭い眩しさじゃない、優しくて柔らかい光を発(だ)している。
そして光の球を胸に抱くと、確かに命くんを感じた。
臆病な、けれども温かい命くんを。
私は、さっき尋ねた、目の前の女の人を見上げた。
ううん、人じゃない………。
綺麗な顔をしているけれど、燃えるような赤毛が腰まであって、その腰から下は蛇のような躯躰(からだ)をしている。
そして頭には、黒く捩じれた角が生えていて、蝙蝠のような翼で裸の上半身を覆っていた。
「その少年に、もはや闘う命力(ちから)は無い」と彼女は薄紅色の唇から小さな牙を覗かせながら言う。「本当に、お前の躯躰(たましい)を使ってしまって良いのか? 今なら…、お前だけなら……、確実に生き返れるのだぞ」
私は激しく首を横に振った。
そして命くんを、ギュッと強く抱き締めた。
「命くんの…、怒りを耐(こら)えて、憎しみを抱いた心が、あの赤褐色(あかい)龍を生んでしまったのなら………、それが命くんの躯躰(こころ)を苦しめているというのなら………、私も…私のせいも………」彼女の獣のような瞳を見つめて、「お願いします。命くんを助けることが‥‥‥、生き返らせることができるなら、私は……私は、このまま死んでも…構いません」肉体じゃないはずなのに、涙が溢れてくる。「お願いします!!!」
彼女は、私を見据えて応(こた)えた。
「……了承(わか)った。ならば願うがいい、少年の躯躰(たましい)を己(おの)が躯躰(たましい)の内に入れることを。祈るがいい、躯躰(たましい)と躯躰(たましい)の合心(ごういつ)を」
私は、その言葉に従って、光の球を胸に抱きながら強く願った。
命くん! 私の中に…、入って!!
彼女は、蝙蝠のような翼を大きく広げると、両腕を紅(あか)く濁った空に向かって高く突き上げ、祝詞(いのり)のような言葉を唱えた。
「『怒り』の世界は、此処(ここ)に在り。我こそは『怒り』の主(あるじ)、女王にして祭司、統括者なり。形なく、姿なく、心より生れたる『怒り』たちよ、我に耳傾け、聞き従え! この地に、『怒り』の神殿を建てよ!!」
地面から炎が吹き出して、アッという間に周りを取り囲んで、炎の壁になった。
紅く濁った空さえも焼き潰(つく)してしまいそうな程の勢いで燃えている。
彼女は、さらに祝詞(いのり)の言葉を続けた。
「我は『怒り』の神殿の門を開(ひら)き、我が血筋に連なる者の統括したる『愛』の世界と通ずることを得ざらしめん。形なく、姿なく⊥心より生まれたる『愛』たちよ、我に耳傾け、聞き従え!我が玉座の前に集いて、二つの躯躰(たましい)を一つとし、業(カルマ)を断つ力を与ええよ!!」
私の躯鉢(からだ)が淡く光り始め、胸元や袖口なんかに着いていた血が消えていった。
やがて光が増してきて、頭の先から爪先(つまさき)まで光に満ちた時、制服が霧のように散って、胸に抱いていた光の球が───命くんが私の中に入って来るのを感じた。
───温かい──────。
そして、命くんが完全に私の躯躰(からだ)に入ると、満ちていた光が少しずつ消えて、制服も元に…ううん、血が着いていない…戻っていった。
突然! 炎の壁の一部が縦に裂けた。
咆哮の轟きが聞こえる。
赤褐色(あかい)龍だ!!
彼女が唸る。
「私の結界を破るとは……、なんという『怒り(ちから)』だ!」私の方を見て、「優子! 躯躰の制御(つかいかた)は全て命に委(ゆだ)ねろ!! 命! 優子の想いを無駄にするな!! 今こそ勝て!!私がしてやれる事は、ここまでだ!!」
その言葉に呼応して胸の奥が熱くなり、躯躰(からだ)の自由が私から離れた。
ゴオッと一気に飛び上がって赤褐色(あかい)龍の頭上を越えると、両手を真下に突き出した。
掌が熱くなって白よりも白い光が、初めて夢の中で見た時とは比較(くらべ)ようもないくらいに太い束になって赤褐色(あかい)龍を撃った。
赤褐色(あかい)龍の上半身が消し飛んで、辺りの赤茶けた地面が深く抉(えぐ)れた。
───凄い!!!
でも赤褐色(あかい)龍は、炎の龍巻に姿を変えていく。
その間に私の躯躰(からだ)は、右手に刀を創り現(だ)した。
刀の周りを稲妻が包み、雷鳴が轟く。
刀を構えて、炎の龍巻へと突っ込んだ。
中で刀を大きく振るうと、炎の龍巻は裂けて無数の炎(ひ)の粉になって飛び散った。
だけど油断はできない。
予感は当たった!
飛び散った炎(ひ)の粉が幾つかに集まって、炎の弾丸(たま)となって後ろから襲って来た。
何発かは躱(かわ)したけど、避けきれなくて左肩を撃ち抜かれ、千切り飛ばされてしまった。
───痛い!!
地面に突っ伏して私の躯躰(からだ)が動けない間に、炎の弾丸(たま)が集まって炎の龍巻になり、赤褐色(あかい)龍に戻った。
赤褐色龍の巨大(おおき)な手が迫る。
ドン! と叩き弾かれて、私の躯躰(からだ)は炎の壁の外に飛ばれた。
背中から地面に激突して、いよいよ動けなくなる。
赤褐色(あかい)龍は、咆哮をあげて巨大(おおき)な翼を広げると、紅(あか)く濁った空に舞い上がった。
炎の壁を越え、、私の躯躰(からだ)を目がけて墜ちて来る。
───逃げられない──────!!!
すると私の躯躰(からだ)が一瞬パアッと光って、胸の辺りから光の球が飛び出した。
───命くん!?
命くんはグングン昇って行って、赤褐色(あかい)龍に体当たりした。
その衝撃で、赤褐色(あかい)龍の着地場所が、私の躯躰(からだ)から僅かに逸れた。
地面が、ズズズン!! と大きく揺れる。
そして赤褐色(あかい)龍は、すぐに起き上がると、命くんに向かって飛び上がった。
口から炎を吐いて命くんを襲う。
「命くん! 戻って! そのままじゃ殺(や)られちゃうわ!!」
そう叫ぶと、赤褐色(あかい)龍の吐く炎を躱(かわ)しながら光の球が明滅して、私の心の中に命くんの想いが伝わって来た。
それは───。
「私に還(かえ)れって言うの!? 否よ! 今さら! 私、命くんを好きになったんだもの!! 命くんと一緒にいたいんだもの!!」
私は、右手に持っている刀を杖の代わりにして、なんとか立ち上がろうとした。
でも、うまく立てなくて前のめりに倒れてしまう。
「還(かえ)ったって、命くんがいないなら、生き返っても私…、」上半身を起こして、光の球を見上げる。「なんのために『ここ』に来たと思っているのよ!!!」
言った瞬間、命くんが赤褐色(あかい)龍の長い尻尾に叩き落とされてしまった。
私は飛んで、命くんの所へ行こうとしたけど、フラフラして上手く飛べない。
命くんの方は、すぐに飛び上がって赤褐色(あかい)龍に向かって行った。
でも炎の息に曝(さら)されて、なかなか赤褐色(あかい)龍の懐に飛び込めないでいる。
───あっ、危ない!!
「命くん! 私を一人にしないで!! 私、命くんとちゃんと話をしてみたいの! 交遊(デート)してみたいの! 交際(つきあ)ってみたいの! 接唇(キス)してみたいの! 初めて、初めて真剣(ほんき)で好きになったのに、このまま逢えなくなるなんて、絶対にイヤアアアアア!!!」
苦戦している命くんを助けようと刀を振るったけど、刃先から放たれた雷光は狙った通りには当たらなかった。
何度やっても赤褐色(あかい)龍に傷ひとつ負わせられない。
───無益(ダメ)だわ。
やっぱり使い方が分かっている命くんじゃないと。
「命くん! 私の中に入って!!私のこと好きなんでしょ!? 私のためなら、どんな事だってしてくれるんでしょ!? 命くんの懸想文(ラブレター)読んだんだからね!! だから…、だったら! 私の躯躰(からだ)を使って!! お願い! 命くん!! 一緒に戦ってええええええええええええ!!!」
光の球が、一瞬カアッと強く光って、私の方に向かって来た。
───命くん!!
そこへ、披女の呼び声が届いた。
「二人とも、こちらへ来い!」炎の壁の内(なか)か
ら呼ぶ。「この神殿の中でなければ、合心(ごういつ)はできん!!」
その言葉に従って、命くんと一緒に炎の壁に飛んで向かったけど、私は上手く飛べなく
て、追って来る赤褐色(あかい)龍の方が速かった。
───追いつかれる!!
そう思ったら、前を飛んでいた命くんが反転して、赤褐色(あかい)龍に向かって行こうとした。
「不許(ダメ)─────────!!!」
私は泣き叫びながら右手の刀を捨てて、光の球を掴み止めた。
そこへ、赤褐色(あかい)龍の吐く炎が襲いかかってくる。
私は光の球を…、命くんをギュッと胸に抱きしめて躯躰(からだ)を丸めた。
躯躰(からだ)が炎に包まれる。
───熱い!! でも………!!
───私が護(まも)ってあげるんだから!
───私が必ず助けてあげるんだから!!
───現在(これ)から、永遠(ずっと)!!!
炎に包まれた中、突然フワッと私の躯躰(からだ)が
光り始めて、炎を遮断(さえぎ)った。
しかも私の腕の中で、しだいに光の球が大きくなってきて、命くんの姿に変わっていく。
───これは!?
───命くんはもう、命力(ちから)を消耗しちゃって、姿を維持てなかったはずじゃ………。
そして、命くんの姿が完全に元に戻った時、私は命くんを抱いている右腕に力を込めた。
頬を命くんの髪に擦り寄せると、二人とも光に包まれて、私よりも小柄な命くんの躯躰(からだ)が、私の躯躰(からだ)の中に沈み始めた。
まさか、合心(ひとつ)に成れるの?
私たちの命力(ちから)だけで………………。
───命くん‥‥‥、愛してる。
───愛してる。
───愛してるわ。
───愛してるわ。
命くんの躯躰(からだ)が私の躯躰(からだ)の中に完全に沈み込むと、さっき捨てた刀がどこからともなく右手に戻って来て、千切れたはずの左腕が現出(あらわ)れ、両手で刀を握りしめた。
赤褐色(あかい)龍に向かって、吐き出す炎の中を、刀を構えて猛烈な速度(スピード)で突き進んだ。
熱くない。
苦しくもない。・
躯躰(からだ)から発(で)ている光が、炎を全く寄せつけない。
刀の刃が稲妻を纏(まと)って、雷鳴を轟かせる。
そのまま私の躯躰(からだ)は、赤褐色(あかい)龍の口の中に飛び込んで行った。
ドゴオオオオオオオオオオオオオ!!!
赤褐色(あかい)龍の背中から突き抜けて振り向くと、一度は四方八方に吹さ飛んだ炎の欠片(かけら)が一つの所に集まって、また炎の龍巻に変(な)ろうとしていた。
無益(ダメ)だ。
何度やっても………。
何か、何か決め手になる方法は………!?
───どうすれば!?
そう思った瞬間(とたん)に、私の躯躰(からだ)は炎の龍巻の中に飛び込んで行った。
しかも、両手で持っていた刀を消滅(けし)て。
ゴオオオオ!!と渦巻く炎に呑み込まれる。
───命くん、何をするの!?
返事(こたえ)は直接(すぐ)に返ってきた。
───そっか……。そうだね…。そうかもしれない。
───分かったわ。やっみよう!!
今なら、今ならできるはずだから。
私は、命くんを愛している。
愛し始めているって言った方が正確かもしれないけど。
そして命くんも、私のことを想ってくれていた。
ううん、想い続けてくれていた。
だから………、だから──────。
炎の渦に巻き上げられながら、私の躯躰(からだ)は光を増していった。
そして光の内(なか)に炎を吸い込んでいく。
命くんの『怒り』が生んだ、赤褐色(あかい)龍を。
見える、見えるわ。
心の中に、まるで実景(パノラマ)のように、命くんの『怒り』が、『憎悪』が───。
自分の身体(からだ)の脆さへの怒り、虐(いじ)めた級友(ひと)たちへの怒り、私のことを好きなのと同時に抱いていた憎悪(にくしみ)が──────!!!
そんな『怒り』の炎を吸い込んでゆく私の躯躰(からだ)は、決して苦しくない。
私は、全開(めいいっぱ)い心を開いて、この『怒り』を抱きしめることにしたから。
逃れようと猛り狂った炎は、でも大きく波打(うね)りながら渦を巻いて躯躰(からだ)の中に入っていった。
炎の龍巻は、しだいに炎が失われ、小さく小さく小さく小さく成ってゆき、更に、どんどんどんどんどんどん小さく成るとやがて掌の上に乗るくらいの大きさになった。
そして小炎(それ)を握ると、ついに炎は消滅(きえ)た。
やっ…た、やったね……。
終わった………………。
終わった………。
終わった…。
「凄いものだな」
いつの間にか、彼女が後ろに立っていた。
振り返ると、彼女が『怒り』の神殿と呼んでいた炎の壁は、まだ激しく燃え続けていた。
「自己(みずから)の意志で合心(ごういつ)するとは‥‥‥」私の躯躰(からだ)を蝙蝠のような翼で覆う。「ついて来い。現世に還(かえ)してやろう」
私の躯躰(からだ)は、彼女の翼に守られるようにして、燃え盛る炎の壁の中に入って行った。
「…私は、この『怒り』の世界の統括者として、心の暴走を抑止する役目を担(お)うてはいるが、実際(ほんとう)に私にできることなど…、何も無い………。だから人間たちよ‥‥‥、怒りも、憎悪(にくしみ)も、心を滅ぼす想(もの)を、」炎の壁を通り抜けた。「『愛』の世界に移す術(すべ)を‥‥‥忘れるな………………」翼を開いて私の躯躰(からだ)から離れる。「自己(みずから)の意志で、合心(ごういつ)できたお前たちなら………………………」
私の躯躰(からだ)は彼女を振り向いて、黙って諾(うなず)いた────────────。