六時間目終了の合図(チャイム)が鳴り、私の号令で全員(みんな)が先生に礼をすると、教室の中は急に騒がしくなった。
友だちと無駄話(おしゃべり)を始める人や、教室を飛び出して帰る人、箒で芥塵(ごみ)を掃く掃除当番……。
私はというと、学級日誌を机の上に開(ひら)いた。
私、古谷優子(ふるや ゆうこ)。
東京近郊を流れる荒川の近くにある公立中学、鳩ノ巣中学校に通う二年生。
もちろん、女子。
今日は日直だったから日誌を書かなきゃならないんだけど、あ~あ、面倒(めんど)くさい。
そう思いながら鋭鉛筆(シャープぺン)の芯をカチャカチャと出していると、「フッちゃ~ん、早くせェーい!」という剽軽(ひょうきん)な音域(トーン)で、女の子の声が引戸(ドア)の方からした。
声の主(ぬし)は、森川都茂世(もりかわ ともよ)。
その名前と、いっつも赤味がかった頬をしているから、級友(みんな)からは『トマト』って呼ばれている、短髪(ショート)の可愛いって感じの子。
「もう少し待ってよォ、トマトの薄情者ォ!」と抗議をすると今度は、トマトの横に立っている超長髪(ちょ-ロング)で、背もスラッと高い佐藤佐智子(さとう さちこ)が、「早く行かないと混んじゃうもの!」と言った。
『混んじゃう』というのは、学校の近くにある小物装飾店(アクセサリーショップ)のこと。
気軽に小物装飾(アクセサリー)を試させてくれるし、お店の一部が小さな喫茶室になっているから、毎日ウチの生徒で賑わっている。
とうぜん寄り道なんていけないんだけど、卒業生が経営しているってことで、先生も、そこのお店だけは大目に見てくれている。
「『サッチ』まで、それはないでしょう!?」と言い返してみたものの、あの二人じゃ本当に先に行ってしまいかねない。
───しょうがない。 こうなったら高飛車(タカビー)な女になるか。「天野クーン!」と私は、黒板を消している小柄な男の子、天野命(あまの みこと)を呼んだ。
名前とは裏腹に、死んでいるような瞳で振り向いた、ちょっとどころか、かなり暗い彼は、今日一日の相棒(パートナー)。
席順を運試(クジ)引きで決めるのに賛成なんてするんじゃなかった。
まさか隣の席になるなんて、悲劇だわ。
言っちゃ悪いけど、私は天野が大嫌い。
ううん、嫌いなのは私だけじゃない。
暗いし、無口だし、脆弱(ひよわ)だし。 いわゆる虐められっ子。
そのうえ、虐められても仕返しもしなければ、抵抗もしない。
そんなだから、よけい級友(みんな)に虐められるのよ。
なんてことは噫気(おくび)にも出さずに、私はとっておきの笑顔で、天野に日誌を頼んだ。
自分で言うのもなんだけど、私に頼まれて「NO!」なんて言える男子は滅多にいない。
思った通り天野は、黙って諾(うなず)いた。
───よしよし。
「サンキュー♪」なんて、心にも無いお礼を言って、私は鞄を整えた。
すると突然、堅強(ガッシリ)とした手で左腕を掴まれて、キリリと痛んだ。
振り向くと相手は、織田信雄(おだ のぶお)だった。
偉そうな名前と、同じ中二とは思えない逞(たくま)しい外見から、級友(みんな)は『大将』って呼んでいる。
もちろんそれだけの人望もあるんだけど、私は苦手。
だって、なにかっていうと私に突っ掛かってくるんだもん。
「何するのよ!!」
「何するのじゃないだろう? お前、日誌を命に押しつけて先に帰る気かよ!?」
「いいでしょォ、天野クンも『いい』って答えたんだから。それにィ、今日の号令なんか全部、私がやったんだからね。日誌くらい、いいでしょ。ねえ?」と天野に同意を求めたけど、黙って諾(うなず)くだけ。
───モオ!「だからって…‥」と大将の手に力が入る。
痛(いた)───!
私は、顔を顰(しか)めた。
すると天野が黒板の前から駆け寄って来て、たぶん今日のうち初めて口を利いた。
「いいんだ、大将。僕がやるから……」
「だけど…」
「本当に、いいから………」
どうゆう訳か、天野は大将とだけは口を利く。
大将も、級友(みんな)が天野を虐めたりする中で、ただ一人味方をしている。
まさか男色(ホモダチ)とか………………なんてね。
「ホラ、早く放してよ! 天野クンだってこう言ってるんだから」
「‥‥‥判ったよ!」と大将は、乱暴に腕を放した。
「ちょっと煽甘(もて)るからって、イイ気になるなよ古谷!」
「別になってないわよ!」
そう言い返して、私はトマトとサッチが待っている引戸(ドア)の方へ走って行った。
正直、大将に見透かされて腹が立った。
───フンッ、いいでしょ!
私は自分の能力を充分(フル)に使っているだけよ。
だから序(つい)でに、廊下に出る一歩手前で振り返って、「戸締まりもお願いねェ♪」と天野に冗談(ポース)で投げキッスを送った。
───アレ?
照れちゃったみたい。
う~ん、私って罪な女の子ね。
なんちゃって。
「良いの? 天野に押しつけおって」とトマトが口を尖らせる。
「いいの、いいの」と答えて、私はトマトとサッチを廊下に押し出した。
そしてサッチが、
「ゴメンネ、天野くん(^0^)」と私の代わりに謝って、私たちは教室を後にした。
「ねえねえ、もしかしなくても天野くんて、フッちゃんのこと好きなんじゃない? いつもフッちゃんのこと見てるみたいだしぃ」とサッチが柔気(にやけ)る。
「え-っ!? やだァー!!」
「でも、さっき投げキッスしたとき、紅(あか)くなってたぞよ」とトマト。
「もう! やめてよねェー。紅(あか)いのはトマトの方でしょ。私は、あ-ゆ-根暗なチビは大っ嫌いよ。ま、私を好きになるのは当然だろうけど♪」
「あーあ」とサッチが呆れる。「そういうことを言ってると、性格歪んじゃうわよ」
「もう歪んでるわよ」と私が答えると、私たちは顔を見合わせて笑い合った。