七月。夏休みのある日。僕は今、親戚の家の近くにある山の中へ、一人で入っていた。
夏休み初日から数日、三泊四日で僕は母さんの親戚の家に家族で遊びに来ていてた。
周りには田や畑ばかりで、隣の家に行くのにちょっと歩いたり、コンビニがなかなか無かったり、電車が三十分に一本の田舎である。
山に囲まれていて、景色はとても綺麗だ。
本当ならお盆に帰る予定だったけど都合が合わなくて、夏休みが始まってすぐに来てしまった。
僕は小さい頃から自然の中にいるのが好きで、この田舎に来てはよく「ちょっと歩いてくるよ」と言って山の中を散歩していた。
山の中はとても幻想的で、引き込まれるように奥へ奥へと歩いていく。
雲一つない青空、コケだらけの岩。
奥に進むとちょっとした空間があり、そこで目を閉じて耳を澄ます。
周りから響く蝉の声、流れる小川の音が聴こえてくる。
そして目を開けると、木の葉と葉のすき間から陽が射しているのが見えた。
夏の暖かさと、木陰の涼しさに、僕はここにしばらくいたいと思った。
緑色の草に抱かれるように横になった。
木々の揺れる音や小鳥の優しい声が、心地いい子守唄になって、やがて僕はうとうとし始めた。
気づかないうちに、ぐっすりと眠ってしまった。
白い世界が広がる。
体がふわふわする。
目をこすり、辺りを確認すると、薄っすらと景色が見えてきた。
僕は学校の校庭で一人佇んでいた。
いや違う、前にも後ろにも、僕の学年の人達が現れた。
凛音と里久を見つけ、二人はそっと微笑み、僕は手を振る。
突然誰かの悲鳴が聞こえ、凛音が空を指さす。
大空には、黒く大きな影や、青白い稲光が、僕ら目掛けて迫って来る。
僕はその得体の知れない影に、恐怖で足がすくみ、一歩も動けなくなる。
逃げたいのに、逃げられない。
もう駄目だ、と思った瞬間、目の前に少女が立つ。
顔は見えなかったが、他人には思えなかった
「君は誰?」と訊ねようとした時、一瞬で校庭が火の海になった。
「うわっ!!!」
僕はパッと目を見開いた。
目から、何か液体が流れているのが分かった。
……涙?
そういえば何か、とても怖い夢を見ていた気がする。
思い出そうとしてみるけど、頭の中に靄がかかったみたいにはっきりしない。
僕は諦めた。
どれくらい時間が経ったのだろう。
辺りを確認するために、体を起き上がらせた。
そして、目の前に不自然なそれがあった。
「これは……?穴?」
そう、穴だった。でも、おかしいのは、さっきまで無かった穴が突然目の前に現れたことよりも、その穴が存在している位置だった。
地面や壁にあいているような穴ではなく、地面から離れてぽっかりと、丸い穴が空中にあいている。
その穴の裏は何もない。同じように穴が開いてるだけだ。
警戒しながら覗いてみると、中は薄暗く、建物のような何かが見えた。
ゆっくりと手を入れてみる。
「うわ!入った!」
すぐに手を引っ込める。
僕は恐怖と好奇心で一杯になり、入ろうか入らないか、穴の前をグルグル回った。
しばらくして、空を見上げた。
「よし、明日入ろうそうしよう。だって何かあったら怖いし、準備したいし。怖いし。明日無くなってたら忘れよう」
そう決めると、今日はここまでにしようと、家に戻った。
お風呂に入る時も親戚のおばさんが作ってくれた夕飯を食べてる時も、頭の中はあの穴のことを考えていた。
あの穴の先にあるもの、それが何なのか想像するだけで、期待が高まる。
それと同時に、不安もある。
その日の夜は中々眠れなかった。
小鳥が庭の周りをチュンチュンと鳴いて飛びまわり、朝日が雄大な山々を輝かせ、道路のわきの用水路には弱々しく水が流れている。
僕は重い瞼をこすり、さっさと朝食を済ませて、昨日の穴のあった場所まで行ってみた。
草木をかき分け、時には足を滑らせ、やや方向を間違えたけど、何とかたどり着いた。
「まだある…!」
そこには、昨日見つけた穴があった。
恐怖と緊張で震える足を無理矢理動かし、目を瞑ってゆっくりと穴をくぐる。
風がフューッと吹いていて、体が一瞬ブルッと震える。
恐る恐る目を開けると、そこには…誰もいない街が広がっていた。
少し紫がかった空、別に廃墟には見えないけど、どこか寂しさが残る四角やドーム状の建物の数々、風に流される塵。
この街には、明らかに人がいた形跡があり、それでいて活気がない。人がいない。
「どこ?ここ…」
ゆっくり一歩、また一歩と僕は歩き出していた。
広く長い道が続いていて、それを辿っていく。
右を見ても、左を見ても、やはり人を見つけることができず、鳥すら飛んでいない。
足の感覚に違和感を覚え、下を向くと、道は今まで僕が見て来たものとは違う素材で舗装されていることに気づく。
顔上げ、もう一度辺りを見回す。
「やっぱり…」
道路には電柱や電線、街路樹、道路標識すらなく、シンプルな造りになっている。
とても近未来的で、明らかにここには人がいた。
なのにどうして、今、ここには誰もいないんだろう。
そんな疑問はやがて、この街に対する寂しさに変わり、恐怖が募り、僕は穴のある場所まで戻った。
そこで僕は、大きく動揺した。
「あ、穴が…!!」
穴が、どんどん透明になる。消えていく。
「待って!」
そう叫んで全力で走ったが間に合わず、穴は完全に消失した。
「そんな……」
僕はしばらく、その場に佇んだ。
穴が無くなってしまった。
つまりはもう、帰ることはできない。
不思議と絶望は無かったけれど、心細く感じた。
繋がっていた蜘蛛の糸が、ぷつりっと切れてしまったみたいに。
しばらく、一人道の真ん中に佇んだ。
他にやることの無い僕は、この街を探索するのを続けることにした。
何処かに他の穴があるかもしれないし、元の世界に帰る手段が見つかるかもしれない。
でも、どこまで歩いても、建物だけの風景が続き、風の音以外何も聞こえない。
用水路は干からびていて、一滴も水がない。
近くの建物の中に入ると、中は最近まで誰かが使っていた形跡がある。
テーブルの上にはコップらしきものが置いてあった。
物が散乱しているところもあり、慌ててこの建物を出て行った感じがする。
「本当に、誰もいない……」
そう呟きながら辺りを見渡していると、窓から工場みたいな、大きく、白い建物が並んでいるのが見えた。
僕は急いで道路に出て、方向を確かめる。
もし、あれが本当に工場だとしたら、ここの人々はどんな物を造っているのだろう……。
僕は、疲れて動かしづらい足を出来るだけ速く動かし、工場目掛けて走った。
気味の悪い空は、僕が走る気力を奪っていくような気がし、出来るだけ上を向かないようにした。
意外と距離は遠くはなく、数分程度で着いた。
近くで見るとかなり大きな工場で、僕は今までに、こんな大きなものは見たことは無い。
工場の敷地はフェンスに囲まれていて、とにかく中に入るために、それを乗り越えようと、手と足をかける。
なかなか上ることができず、指の一本一本が痛くなる。
何とか乗り越えて敷地内に侵入すると、外からは分からなかったが、七つの白い建物があった。
真ん中に大きい建物を囲むように他の中くらいの建物が周りに建っている。
端っこの建物の中に入った僕は、建物内を歩いてまわる。
建物の中には、多くの大きな機械が機能を停止させて、静かに佇んでいる。
その機械の近くには、白い球体、大きな筒、大きな板など、何かの部品がずらっと並べられていた。
それらを一通り見て、一番大きな建物につながる扉をくぐると、資料やモニターが行儀よく並んでいる部屋には水色のA4サイズの板が散乱していて足の踏み場がなかった。
僕はその板の一つをゆっくりと持ち上げると、板は蒼白く光りだし、何かの図が表示された。
「未来の…タブレット?」
設計図だろうか、びっしりと見たことのない記号が図に重ねるようにして書かれてあった。
足元を気にしながら、部屋を通ると奥にはまた扉があった。
「これって……」
僕の目の前には、巨大な蒸気機関車を繋いでいる列車があった。