イオを着替えさせた後、僕らはコスモスの最後尾車両まで歩いてまわった。
列車は長く、設備も多かったため意外と時間がかかった。
コスモス編成は、前から機関車、戦闘指揮所、一つ目の戦闘車両、客車、二つ目の戦闘車両、機関車という順番になっていて、二つ目の戦闘車両の主砲は後ろを向いているのが確認できた。
どうやら前の主砲は前方、後ろの主砲は後方を攻撃できるようになっているらしい。
列車全体をまわって、客車を機関車と戦闘車両で挟んで連結していることが分かった。
後方の客車の数両は格納庫になっていて、戦車が三台、装甲車が一台搭載されている。
探索や警備、コスモスの護衛などに使われるみたいだ。
「やっとまわり終えた~」
僕はラウンジカーのフカフカソファーでぐったりする。
そんなに疲れているわけではないけど、でも今はこのソファーでくつろぎたい。
フカフカなソファーは座ると深く沈みこみ、優しく体を包んでくれるようで、その心地よさで思わず眠りそうになる。
横目でイオをみると、彼女はなんだかそわそわして座っている。
そうだ、イオには色々と教えないと。
僕は自分の頬を軽く叩いて、立ち上がる。
「よし!」
「うゆ……?」
イオはビックリして僕に視線を向ける。
「色々教えないとね、イオ」
「ういー!」とイオは両腕を万歳させている。
なんとなく、僕が言っていることを理解してくれたみたいだ。ちょっと嬉しい。
僕は天井を向き、コスモスに声をかける。
「一旦家に戻っていい?取りに行きたいものがあるんだ」
「かしこまりました。装甲車をラウンジカーの横に停めますので少々お待ちください」
僕はイオの方に視線を戻す。
「ごめんね。すぐに戻って来るから、ここで待っててね」
出来るだけ伝わりやすいように、ジェスチャーしながら言う。
イオは小さく、自信なさげにコクリと頷いた。
「準備が出来ました。どうぞ。車両との間にすき間があいていますから、気をつけてください」
「うん」と返事をした僕は、装甲車に乗って、人気のない公園へ向かった。
「どこだろう。ここかな」
僕は自分の部屋のあちこちを見て、ある物を探す。
視線を上に移すと、戸棚の中に何かあるのが見えた。
戸を開け、置いてあった古い段ボールを出して、埃を被りながらも中を漁る。
「あ、あった!これこれ」
中には、僕が幼稚園児の時に読んだ本や、小学校で使ったワークが沢山入っていた。
それらの内容を確認するために読んでいると、なんだか懐かしさを感じてきた。
「よしこれを持って行こう!」
大きめの絵本や平仮名についての幼稚園児向けの本を数十冊と、小学生の教科書数冊、ワーク六冊、小説五冊を紙袋につめて持ち上げる。
「重い…」
それなりに重みがある紙袋を、破けないように注意しながら公園まで早歩きで運ぶ。
時々、手がしびれて、その都度持ち方を変えてみる。
汗だくで何とか、公園に着き、時計を見ると、針は十二時半をさしていた。
公園で待ってくれていた装甲車に乗り、僕らの街から超空間へのトンネルを超え、コスモスへ戻った。
「お待たせ」
僕がラウンジカーに着くと、イオはこちらに歩み寄ってきた。
「うぅ??」
僕を見たイオは、すぐに視線を僕の右手の紙袋に移す。
「本を持って来たんだよ。一緒に読もう」といいながら、椅子に座る。
「イオ、こっち来て」
手招きをすると、イオは僕の隣にちょこんと座る。
本を紙袋から取り出して、イオに渡すと、イオは不思議そうに、本を逆さまにしたりしてじっと見つめる。
「こうやって読むんだよ」
僕は本をもう一冊取り出し、開いてみせる。
「うぉ~」
イオも真似て開く。
本をテーブルに置き、五十音表が書いてあるページを開く。
「いい?これが『あ』だよ」
「ふぁ?」
「『あ』だよ。あーって口開けて」
「あー?」
「そうそう」
それから僕は「あ」から「ん」までを、順番に教えた。
コスモスの言う通り、この子は覚えるのが早い。
「あ、い、う、え、お。か、き・・・」
一通り五十音を教えると、イオは大きく口を開け、声に出して何度も復習し、僕はその様子を見守る。
かなり慣れたみたいで、一文字一文字はっきり言えるようになってきた。
次に、簡単な文を練習させてみると、イオは真剣に取り組んでくれた。
見た目は一つ年下ぐらいなのに、幼稚園児を相手にしている様な気分になる。
あくびが出てきて、少し眠くなってきたけど、イオが頑張ってるのに寝たらダメだ、と無理矢理頭を動かそうとし、ただイオが練習しているのをボーッと見つめる。
何分何十分過ぎたかは分からないけど、イオが上達してきているのは、実感した。
「じゃあそろそろ、本、読もっか」
絵本を僕が音読してみて、その後イオにも音読させる。
それを繰り返していくうちに、イオはだいぶ文字を読めるようになった。
ふと、窓の外を見る。
「あれ、コスモス、今何時?」
長い時間、コスモスに居ることを思い出した。
「地球時間で午後五時です」
「うーん、そろそろ帰った方がいいかな」
「続きは、また後日にしましょう。私もイオに言葉を教えます。そのためのプログラムも用意しました」
優秀……!!
「ありがとう、よろしくねコスモス」
僕は本をテーブルに置いて、帰る支度をし、乗降口に向かう。
装甲車に乗ろうとすると「うぅ・・・ああ」という声が聞こえ、振り返る。
イオが立っていて何か言おうとしている。
「あ・・ぅ」
「どうしたの?イオ」
「あ……が…とう」
初めて、イオが自分で言葉を発した。
嬉しさと達成感で、体が熱くなる。
「うん、また今度ね」と、手を振ると、イオも手を振り返してくれた。
次の日もコスモスとイオの所へ遊びに出かけ、二人に会うのが楽しみで、装甲車の中で落ち着かず、何度も窓の外を覗いた。
ガチャンっと、格納車に着いた音がして、持ってきた黒いバッグを背負う。
「やっと、着いた」
ドキドキしながら、ドアの取っ手を握り、装甲車を降りると、すぐ近くにイオが立っていた。
「あ、おはよう。イオ」
僕が近づくと、イオは軽くお辞儀をした。
「お、おはようございます。ご主人…様」
おかしな発音でだったけど、返してくれた。
「話せるようになったの!?」
「はい、まだ少し慣れてないですから、おかしいかもしれませんけど。あの後、コスモスが沢山お話してくれて、気づいたら、かなり言葉が分かるようになりました」
確かに、前よりも格段に話せるようになってるっていうか、一晩でここまで話せるようになるなんて凄い。
「あ、あの、ご主人様……」
「何?」
「改めて、よろしくお願いします」とイオは深々とお辞儀をした。
それを見て、僕も、慌ててお辞儀をする。
「こ、こちらこそ、よろしく、お願いします」
なんというか、初恋の人を相手にするみたいに、或いは初対面の人と接するかのように、僕は緊張してしまった。
「ち、チョコ持ってきたから、ラウンジカーで食べよ」
震える手に持ったバッグをイオに見せると「はい!」と、イオは大きく返事してくれた。
イオと並んで客車の廊下を歩くが、話す内容が思いつかず、僕は黙って、ひたすら窓の外を眺める。
「この空間、とても綺麗ですよね」
その声に反応してイオの方を向くと、イオと目が合い、とっさにそらしてしまった。
「どうしたんですか?ご主人様」
「ううん、何でもないよ」
自分の胸のドキドキが増しているのを感じ、上手く話せない。
イオが、可愛すぎるんだ。
廊下には、スタスタと裾がすれる音と、心臓の音だけがする。
ラウンジカーに着くと、テーブルの上に僕が持ってきた小説が置いていて、しおりがはさんであることに気づいた。
「あ!」とイオは、慌ててその小説を持つ。
「あの、これ面白くて・・・つい」
「しばらく貸すから、ゆっくり読んでていいよ。他の本も結構あるから、また持ってくるよ」
「本当!?ありがとうございます….!」
イオは嬉しそうに、無邪気に笑う。
実は、母さんにものすごく薦められて、読まずじまいだった本がほとんどだけれど。
「ほら、座ってチョコ食べよ」
「はい!」
バッグかあらチョコが入った袋を取り出す。
スーパーで売ってる、板チョコだ
「これが、チョコですか?」
「うん、ミルクチョコレートっていうんだ」
「面白い名前ですね」
イオは「ミルクチョコレート」という名前を面白いと言った。
初めて見るものや名前が新鮮なのかもしれない。
パリッと板の真ん中を割って、イオに渡す。
まかれている銀紙を外し、中のチョコを口に入れる。
うん、口がとろけるほど甘い。
それを見てイオも銀紙をはずし、口を小さく開けて食べ始める。
次の瞬間、目が輝く。
「これは、何…?この感覚は・・・よく分からないですけど、口の中が凄く凄いです!」
イオは、昨日生まれたばかり。
当然、味覚がどんなものなのか、実際に感じたことはないはず。
初めて味覚というものを認識して、戸惑っているんだ。
僕はイオに顔を少し近づける。
「『甘い』っていんだよ」
「甘い…?味覚の一つですか?」
「そうだよ。他に、辛い、しょっぱい、酸っぱい、苦いとか」
「色々、沢山あるんですね。あの小説で見た『美味しい』この場合当てはまりますか?」
「うん、多分当てはまると思うよ」
イオは再びチョコを口に入れ、まじまじとそれを見る。
「これが…『甘い』」
イオはゆっくりと、欠片の一つまでチョコを味わう。
「凄いですね、これ!口の中、甘さが広がって……ずっと食べていたいです!」
ここまで喜んでもらえるなんて、思ってもいなかった。
持ってきて良かった。
自分のチョコを見つめ、食べた所をさらに割り、イオに差し出す。
「これ、ちょっとだけど、食べていいよ」
「え、でもそれだとご主人様が………」
「僕はいいよ、また買ってくるからさ。」
美味しそうに食べるイオをもうちょっと見ていたい。
「でも……」と困ったように言うイオだけど、顔は食べたそうにしている。
しばらくすると、イオが何か思いついたような顔をして、僕の差し出しているチョコの端を摘みパキッと割る。
「これなら、大丈夫ですね!」
イオは、摘まんで取ったチョコを口に入れ、僕の方を向いて、ニコッと笑いかける。
思わぬ出来事に、頭が一瞬フリーズした。
やっと状況を飲み込めた僕は、自分の手に残ったチョコを食べる。
このチョコレートは、いつもよりも甘く感じた。