森での居心地に耐えられなくなった僕たちは明日また会うことを約束して、ハンザとイシカは二人の家へ、僕とイオはコスモスへそれぞれの帰る場所に帰ることにしたのだった。
帰る途中、僕達四人は悲しみに暮れ誰一人として話す者はいなかった。
僕はコスモスの浴室のシャワーで体に着いたの汚れを落としながら、その事を思い出していた。
シャアアアアアというお湯の吹き出る音以外は何も聞こえず。ただひたすら自分の思考の世界に閉じこもった。
人が人を殺し、動物を殺した。
立て続けに起こる悲しい出来事に、どうしようもない胸のない痛みを感じる。
体を洗い終わって、新しく用意された服に着替えて身支度を整えた後でも、しばらくそれは続いた。
浴室のある車両から隣の車両まで、連結された通路を渡る。
「なんだか、疲れちゃったな」
誰もいない客車で呟いた。本当に疲れた。
一度そんな言葉をもらすと、僕はたまらずボックスシートに腰かけ、ため息をついた。
今ではもうすっかり手足の震えはなくなり、代わりに何かわからないけど不思議な安心感に包まれている、そんな気がする。
最近はよくいるこの場所、客席の窓側。僕にとって居心地のいい場所の一つ。
日が傾き始めオレンジ色に染まった空の小さな鳥の群れ、白い雲、山の形をした影、それはいつも見ていた景色だった。
それは、どこか心の奥に深く刺さり、どこか寂しさや悲しさを感じさせた。
「……どうして、なんだろうな」
再び、誰もいない静かな客車で
そっと呟いた。
目の前の景色は、僕の見てきたものと変わらない。
ここは僕のいた世界と同じように思えた。
それなのに、どうして……。
どうして、こうもひどい目に遇うのだろうか。
いつも過ごしていたはずのあの平穏な日々が、束の間の物だったなとあの日から思う。
里久や凛音と遊んでいた学校生活、イオやコスモスとの不思議な出会い、それからの毎日。
今では全部、ずっと前の事の様に感じる。
戦いとか、誰かに襲われるとか、そんな物騒な出来事とは無縁な生活だったのに、いきなり残酷な現実を突きつけられた。
住んでいた場所は破壊され、こうして無謀な旅に出ている。
「駄目だなぁ」と気の抜けるようなため息を漏らした。
旅を始めて数日、すでに暗い考えになってしまう。
折角、イオとコスモスが提案してくれて始めた旅なのに。
そう思い、気づけば僕の目は木のデザインが施された床を見ていた。
本当に、もっとしっかりしなきゃな、と思っているところに誰かが近づいてくる足音と、グラスがガタガタと金属のお盆の上で揺れる音がした。
このコスモスに乗っているのは、二人しかいない。
視線を上げると、そこには予想通りイオがいて、曇り一つない銀色のお盆の上に白いカップを二つ乗せて持っていた。
「お茶です、ご主人様」
「うん、ありがとう」
どうぞ、と差し出されたカップにはうっすらと湯気が立っている。
それを受け取った。
「イオもシャワー浴びてきた?」
「はい!少し汚れを落とすのに手間取ってしまいましたが……」
「そっか。……イオも座って」
「失礼します」
いつもの声の調子で、イオは僕と向き合うとように反対側に座った。
それを確認した僕は手渡されたお茶を一口啜った。
温かさが身体の全身に染み渡ると同時に、自然な甘い香りにほろ苦い味が口いっぱいに広がった。
今まで飲んだことの無いお茶だった。
「……美味しい」
「わぁ!本当です、ご主人様!イシカさんにご主人様はお茶がお好きなことを言ったら、茶葉を少し譲ってくれたんですよ」と同じくお茶を飲んだイオは、明るく笑って言った。
いつの間に、そんなことしてたんだ。
もう一口、お茶を啜った。
イオも、僕と同じタイミングで啜る。
その姿は綺麗という言葉以外思いつかないほどで、夕日に照らされた白い髪と肌は、なんだかいつもとは違う雰囲気だった。
心臓が少し、ビクンッと跳ねた。
一緒にお茶を飲むこの娘の笑顔は、普通の人間そのものだ。
ふと、そんな風に思った。
そんな普通の女の子にしか見えないこの子は、今日、人間離れした動きを見せた。
いや、まあ家の屋根から屋根へ飛んだり、大人数人でも持ち上げられなかった瓦礫を一人で軽々と持ち上げて元々人間離れはしてたけども。
それでも、銃弾が頭に直撃しても平気で、自分より体格の大きい相手を瞬殺したことには驚いた。
あの後本当に大丈夫なのかと心配だったから、コスモスにイオの診断をしてもらったのだ。
結果は、問題なし。
もしも……もしもイオがそんな身体じゃなかったら、とっくに死んでいた。
そう考えただけで、お茶で温まった身体が、体温なんて元々無かったかのように一気に覚めてしまった。
「あの、ご主人様。どうかされましたか?」
気づけば、イオが心配そうな表情で僕の顔を見つめていた。
いけない、気づかないうちに無表情で目を伏せていた。
「え?あ、ごめん。ちょっとボーッとしてた。……イオ、やっぱり制服なんだね」
僕は視線を上げた
本当に気に入ってくらたのかな。寝るとき以外はほぼ初めて着せた時と同じデザインの制服、というか車掌服だ。
違うとすれば、昼間被ってた帽子を今は外してることぐらいかな。
「まだ上手く言語化できないのですけど、これは、私にとって必要なものな気がするんです」
「そっか」
似合ってるし、本人がそう言うのならそれでいいのだけれど。
僕はお茶を啜る。
「ご主人様、お聞きしてもいいですか?」
「ん?何?」
イオからの質問、なんだか久々に感じる。
「ご主人様は、どうして他人を助けるのですか?」
質問をしたイオの表情からは悪意とかそういうものは一切感じられず、むしろ純粋なものだった。
「人を助けるのは、嫌?」
小さい子に話しかけるように、そっと訊いた。
「嫌ではないんです。ただ、どうしてなのかなって、気になったんです。私もコスモスもご主人様の命令に従い、望みを叶えます。そのために作られたのですから。……不快に思われたら申し訳ありません。忘れてください」
イオは申し訳なさそうに、頭を下げた。
「意味なんて分からないよ」
「え?」
そう意味なんて……。
「誰かを助けても、必ず感謝される訳じゃないし、求めてる訳じゃない。助けても、酷いことを言われることだってある」
イオを化け物と呼ぶ人がいるように。
「でもね……」
イオの瞳を見つめた。
綺麗な緑色をしていた。
「それでも、目の前で人が亡くなるのを見るのは、嫌だから。その人にだって大切にしている人がいて、その人を大切に想ってる人がいて……そんな風に思うと心が苦しくなるんだ。自分勝手かもしれないけど、今出来ることを、やりたいからさ」
イオの表情がどんどん暗くなっていく。
「申し訳ありません。私……」
何となく、イオの言いたいことを察した。
「僕は、イオとコスモスに感謝してる。二人がいてくれたから、今こうして自分たちの世界を取り戻す旅をしている。だからほら、そんなに悲しそうにしないで」
僕は微笑んた。
そう、この娘たちを不安にさせちゃいけない。
ここで時間がもうだいぶ経っていることに気が付いた僕は、カップに残った最後の一口を一気に飲んだ。
「よし、そろそろ夕飯の支度しようか」
「はい!それじゃあ、カップ、片づけてきますね」
「いいよ、僕がやるよ」
「それじゃあ、一緒に洗いに行きましょう」
僕とイオは同時に立ち上がり、食堂車へ向かって歩き始めた。
「あ!ご主人様、今日のご夕飯は何が良いですか」
「うーん。さっぱりしたものがいいかな。あまり食欲ないから」
イオと歩幅を合わせながら答えた。
窓の外はもう暗い。
「かしこまりました!ではご用意させていただきますね」
「僕も手伝うよ」
「いえいえ、ご主人様はお休みになっていてください」
「もう十分休んだよ」
それに、イオにやってもらってばかりもダメな気する。
普段はあまり料理しないけど……。
「僕が手伝いたいんだ」
「分かりました。仰せのままに」
食堂車に着くと、ひとまず僕はシンクで二人分のカップを洗い始めた。
その後ろでイオは、食糧庫と冷蔵庫から、食材を一通り取り出していた。
「それでイオ料理長?今日は何を作るの?というか、食材はどこから?」
「コスモスの生産車で作ったものです」
「え?」
コスモスの生産車って、イオの服とか作ったミニ工場っ見たいな所だよね?
え?野菜とかも作っちゃったの?
「それって、大丈夫?」
思わず訊いてしまった。
「大丈夫ですよ?ほとんど本物に近い、とコスモスから聞いてます」と首を傾げてイオが答えた。
コスモスさん物凄く曖昧な説明してません?
「それに……」とイオが続ける。
「それに?」
「ハンザのお母さんから、ここら辺で採れる野菜をいくらか頂きました!」
うん結構交流してるねこの方。
いつの間にかイオのコミュニケーション能力の成長に驚いた僕は思考を止めて、素直に料理を始める事にした。