あの日。地球が破壊された日のお話。
自分たちが住んでいた世界を、街を、日常を、思い出を、跡形も無く消された日の記憶。
残酷で、悲惨な記憶。
「慶介!!」
親友を呼ぶ声は、爆音によってかき消され、本人に届くことはなかった。呼びかけた相手はすでに校庭から姿を消していた。その代わり見えたのは、そこにはあるはずのないもの。
校庭と言う、児童が遊んだり体育を行う際に使われたりする広場に、何故かレールもないのに列車がいる。いた。へんてこな形をした客車を引く、大きな、大きな汽車。
その影はどこか不気味だった。
空を走っている奇妙な列車たちと同じく、その列車は宙に浮かびどこかへと走り去ってしまった。
それでも、夏川凛音という少女は消えてしまった友達を求めるように手を伸ばした。それは届かない。
華奢な体が、爆風で巻き上げられた砂埃で汚れていく。
「だめだ!凛音!伏せろ!」
凛音は、加藤里久という少年に覆いかぶさられて、地面に伏せた。
身体が地面に叩きつけられる。
「……くそ!!」
里久の男子らしく大きい、それでいて細い身体は、凛音を護ろうと必死で、強張っている。
繰り替えす轟音が、心臓をひどく震わす。
地面が何度も、何度も揺れる。
2人は心で何度も何度も叫んだ。祈りとも、訴えとも呼べるそれを、心の中で必死に繰り返して叫んだ。
━━━━止めて、もう止めて、もう止めて!!
どれだけ願っても、身が張り裂けそうになる爆発音は止まなかった。それどころか、空からの襲撃者たちは、地上にいる虫けら同然の人間たちを、嘲笑うかのように、攻撃の手を緩めなかった。衝撃も轟音も、彼らの肌を刺激し、心臓の鼓動を恐ろしく早くした。恐怖が空から降って来る。2人の可哀そうな子供に、死が迫りくる。
「立て!!このままじゃ皆死ぬ!立て!」
いつ死ぬかもしれない状況下で、里久は恐怖と戦い、勇敢にも立ち上がり、凛音の手を取ったのだ。
「逃げるぞ!走れ!走れ走れ!」
顔を上げた凛音は、泥だらけになった里久の顔を見つめ、苦々しい表情のままコクンッと、ただ一回頷いて立ち上がった。一瞬、後ろを振り向く。
慶介…………。
悔しさに顔を歪ませ、前へと向き直り、里久と共に走る。足がもつれそうになる。さきほどまで運動会の練習をして、あれほど速く走る練習をしていたというのに、この時は転ばないように走ることで精いっぱいだった。
凛音は周りに目を向ける。土埃が舞っていて、霧のように立ち込めている。影から出てきたのは、他の生徒たちで、彼らも悲鳴を上げながら逃げまどっている。
いつも楽しく遊んでいた校庭は、学校は、ただ一角の地獄と化している。
とにかく走る。逃げる。
上空に浮かぶ、悪魔にも見える謎の飛行物体の集団。空からの襲撃者たち。それらを眼中に納め、恐怖と絶望で震えている女子生徒が、凛音の視界に止まった。顔は青ざめ、唇が震えている。
彼女はどうやら腰が抜けてしまっているようで、地面に力なく座り込んでしまっている。
「何してるの!貴女も早く逃げなきゃ!!」
「あ……あ……」
震える口からは、言葉の一つすら絞り出すことが出来ない。
「逃げるの!!立って!!走って!!」
凛音は女子生徒の腕を掴んだ。
その女子生徒は「は、はい」とやっと返事をし、戸惑いながらも、一緒に逃げた。
「とにかく、学校の影に隠れよう。校舎の向こうには奴らはいない!」
里久は息が切れるのを堪え、出来るだけ伝わるように、大きな声で、早口気味に言った。
「分かった!!」
即座に応える凛音。
「しっかりついてきてね!」
名前も知らない女子生徒は「うん!」と反応し、凛音に手を引かれながら、出来るだけ速く走るように努めた。
空からの攻撃が一度やみ、不気味なぐらい静かになった。
チャンスだ!と里久は全力を出した。
灰色の空の下、三人の生徒は校庭から学校の校舎に向けて走り、建物の影に入る寸前だった。
爆風にも耐えて、綺麗に咲き誇る植木鉢を飛び越えた。
「もうすぐだ!」
校舎の影に入り、身を隠す。
里久の頭にも、凛音の頭にも、そして女子生徒がもうすぐ身を隠せる。その時だった。数本の黄色い光が、矢のように飛んできて、地面や校舎の壁に突き刺さった。
次に起きたのは爆発。ドオォォォォンという低い爆発音。建物の壁が崩落した。
建物のそばを走っていた3人に、建物の破片が勢いよく落下する。凛音たちはとっさに地面に伏せた。
「大丈夫か!?」と里久。
「私は大丈夫だよ!」と凛音。
2人は運よく崩落の被害からは免れた。
「貴女も大丈…」
凛音は振り向き、女子生徒の安否をした。が、言葉に詰まった。
彼女の手には確かに女子生徒の手を握っている感覚があった。
しかし当の本人の姿は見えない。
あるのは、瓦礫の山。
地面からは、湧き出るように流れて来る血の波。
赤い絨毯は凛音の足元へと広げられていく。
凛音の頭の中はぐちゃぐちゃだった。状況をうまく処理しきれなかった。もしここに置時計があれば、秒針をチクタクチクタクと数秒の間進める音が聞こえるほど、彼女の耳から全ての音が消えた。それでも目の前で起きたことが鮮明に脳で処理される。何が起きたか理解する。
凛音の、可愛らしく、誰からも好かれるような笑顔を振りまく顔は瞬く間に恐怖、絶望、後悔に顔を歪め、青ざめた。
「い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
もはや誰も答えるものもいない校舎の裏側で、凛音の悲痛の叫びが激しく反響する。
まさにこの世のものとは思えないような光景だった。日常生活を普通に営み、ただの中学生として過ごし、平和な国で生きていれば決して見る事でないであろう目の前の惨状は、1人の、たかが中学生の女の子をどん底に追いやるには十分なものであった。
助けようとした女子生徒の身体は、凛音が手を握っている側の腕から先が無かったのだ。
「わた………私、私のせいで!………ま、だ、まだ!生き……」
凛音は壊れたロボットのように、ゆっくりとガタガタ震える手足を動かし、全身が傷だらけで痛いはずなのに一心不乱に瓦礫を撤去し始めた。
「だめ………死んじゃだめ!ごめんなさい………ごめんなさい……私が殺し……私が……」
私が手を引かずに背中を押してあげたら、私が上から覆いかぶさって守っていたら。
凛音はそのことしか考えられなかった。
女子生徒が死ぬのではなく、自分がもっと早く走って少しでも瓦礫が落ちてくる場所から離れ、庇うべきだったと。
いやむしろ、建物のそばを通るべきではなかったと。
そんなもしもに思考を支配されながらも、小さな瓦礫をどかし、重たくて一人の女の子では持ち上げられないような瓦礫を持ち上げようとしている。
結果は分かっている。女子生徒はすでに絶命している。
頭では分かっている。
でも、心がついていかない。
敵の攻撃。空からの攻撃。閃光、爆発、衝撃波、轟音。凛音と里久。そして亡骸。すぐ近くで、土柱がたつ。
攻撃が再開したのだ。
それでも彼女は止めない。
「凛音!!」
里久は今まであげたこともない叫び声で、凛音の腕を掴んだ。
「逃げるんだ!」
「でもこの下に、あの子が!」
里久は悔しさで唇を嚙み締めた。
「ここで逃げなきゃ死ぬぞ!!」
「で、でも………」
なおも反抗しようとする凛音。
パァン!
乾いた音がし、凛音の頬に棘がささる痛みが走った。
「………え?」
完全にあっけに取られた凛音は里久の顔を見つめた。
「頼む………。一緒に逃げてくれ………今は、逃げるしかないんだ……。」
どんな状況でも涙を流さなかった里久が、この時初めて女子の前で、それも外ならぬ凛音の前で、涙声で訴えたのだ。
「………ごめんなさい」
凛音は瓦礫の下の方に視線を送り、悲しみに溢れた目で「ごめんなさい」ともう一度、でもそれは里久に対してではなく、亡くした女子生徒に向けて呟いた。
そして今度は、里久は凛音の背中を押しながら、また走り出した。
「っ……、ぅ……、ぅ………」
背中を押されている凛音の目から、溢れる水の雫。
目じりが熱くなり、顔をクシャクシャにしながら逃げている。
大声で泣き叫んでしまいたいが、そんな余裕はない。
大声の代わりに、大粒の涙を流している。
「な、なんだあれ……………」
里久の声に、目の前にあるものを見ようとするが視界がぼやけていて、うまく認識できない。目をよくこすり、再度目の前にあるものを見つめる。
そこにあるのは空中に開いた穴。
建物の壁や、学校の敷地を区切るフェンスや木に開いた穴ではない。
文字通り、空中に開いている穴。奥行きはない。
「なに、これ」
2人はその穴の前で立ち止まった。
凛音はそっと、手を入れてみる。
すると手はその穴の裏側に現れなかった。
まるで、空中に食べられてしまったような心地がした。
「一体、なんでこんな」
里久が観察していると、後ろから爆風が吹いた。
「きゃあ!」
爆風が凛音たちの身体を襲い、悲鳴がした。
「どうせこのままじゃ逃げる場所もない。一か八かだ」
里久は凛音に視線を送った。
凛音は一瞬驚いた表情をするものの、溢れてくる涙を拭い、今度はキリッとした顔で頷いた。
攻撃が2人に着弾する前に、凛音と里久はその不思議な穴へ入っていった。