「クラスで、根も葉もない変な噂が立っているのは、古谷も知っているな?」
奏汰や友里のクラス担任である佐藤先生は、他の教師たちが忙しく雑務をこなしている職員室に奏汰をお呼びだし、出来るだけ穏やかに務めて、話を切り出した。
「………はい。今朝、ニュースでやってた、工場が爆発して、それがロボットの襲撃のせいじゃないかって話ですよね。それを友里がやったって。でも俺はあいつがそんなことをしないと思っています」
「そうだな。先生もそう思っている。」
佐藤先生は、自分の机に並べて置いてある名簿帳に視線を向けた。それから一息おいて、奏汰を見た。
「でも他の生徒たちはまだ疑っているものもいる。お前たちときたら、そういう変な噂が大好きな年頃だしな。だからこそ、ややこしい言動は極力控えるように、奏汰からも言ってやってくれ」
「俺が、ですか?」
少々、奏汰は疑問に思った。何故ならこのような事件の場合、教師から直接伝えられるものだと思っていたからである。
教師が別の生徒に依頼するというのは、なんとなく不自然に感じられたのだ。
「もちろん。私からも言ってみるが、小黒はおそらく、幼馴染であるお前の言う事ならきくかもしれないと思ってな」
表情を一ミリも変えることなく、真っ直ぐとした視線を奏汰に向けた。普段はそこまで頼りになるような人柄には見えなかったが、しかしながら、今この瞬間だけは信用できる大人という感じがした。少なくとも奏汰はそう捉えた。
「分かりました。伝えておきます」
「よし」と佐藤先生は頷き、「もういいぞ」と奏汰に職員室を退室するように促した。
それから、しばらくクラスメイト達と距離を置いて奏汰は1日の授業を過ごした。
彼の頭の中はずっと友里のことで一杯だった。
授業を進める先生の声も、彼のや友里の席をチラチラとみながらヒソヒソ話をしている生徒の声など、気にも留めなかった。
完全に彼の世界に入り込んでしまっていた。
キーンコーンカーンコーン。
終業のチャイムが、鳴り響く。
号令係による号令で本日最後の授業がやっとの思いで終えられると、奏汰のクラスも、またその他のクラスも帰りの支度に忙しくしていた。
しばらくすれば、先ほど奏汰を職員室に呼び出してた佐藤先生が教室へと入り、生徒たちにさっさと帰りの支度を済ませて席に座るように言った。
誰もがそれらを完了すると、コホンっと咳払いをしたのち、帰りのショートホームルームを始めた。
明日についての連絡、不審な事件が頻発しており、登下校に気を付けること、クラスの輪を乱すような噂を立てないことなどを簡潔に、でも分かりやすく伝えた。
「以上だ、号令」
「きりーつ」
椅子を引く音。
「気を付け、礼」
「「「さようなら」」」
先生に向かってお辞儀をし、クラスの大半の生徒は頭を戻すと同時に机の上に置いておいたリュックを背負い、放課後の掃除当番のために机を前へ運んだ。
今日の掃除当番は友樹と花蓮を含むB班であるため、2人は掃除をしてから帰らなければならなかった。
友里が学校を休んだ日には、2人と一緒に帰ろうと掃除が終わるのを待つのが奏汰のいつもの習慣だったため、今日も廊下に出て、スマホでネット記事を見て時間を潰すことにした。
奏汰が閲覧するのは、もちろん例の記事だ。
書かれている内容は、今朝とほぼ変わっていない。
ネット民の反応では「このロボットは日本製に間違いない」や「自衛隊が隠れて開発していたのではないか」といった憶測や「このロボットは実はAIが人間を超え、人類を抹殺するための第一歩だ」という陰謀論まで出ていた。
中には、実際に正体不明のロボットを生で見たという人もいた。
こういう時はどの情報が真実で、どの情報が偽物か見極める必要がある。
しばらくして掃除が終わったのか、B班のメンツが荷物を持って教室から出てきた。
「お待たせ。一緒に帰ろうぜ」
他の人と同じように、友樹が出てきた。
横に花蓮もいたが、彼女は「ごめん、今日、委員会があるんだ。2人で帰って」と言って、教室の前で隣のクラスの女子と合流して一緒にどこかの教室へ小走りで向かって行った。
「んじゃ、帰るか」
「ああ、うん」
下駄箱で上履きと下履きを履き替え、奏汰と友樹の2人とも、校門を抜けた。
他にも下校生徒はおり、誰もが楽しそうにお喋りをしている。
女子生徒たちは、近所のショッピングモールへ遊びに行くのだろう、何を買うかで盛り上がっている。
高校を囲むフェンスの根本には、彼ら高校生と同じく下校中の小学生の姿もあった。
「今日、大変だったな」
友樹は道端に転がっている石ころをなんとなく蹴って言った。話しているのはもちろん、友里についてである。
クラスメイトはそれ以上話題に出そうとはしなかったが、友里の席と奏汰とは距離を置いていた。
しかし、自分が他人に距離を置かれること自体は奏汰にとってはそこまで苦痛ではなかった。
問題は友里がクラスに馴染むのがより難しくなってしまったことにある。今回の一件で友里が何故他人と関わるのに消極的だったのかが分かった。
周りから見れば変な実験や、奏汰に手伝わせている研究を16歳の少女が嬉々として繰り返して行っていたとしたら、クラスメイトの反応も当然と言えるだろう。
人間は普通と呼ばれる大多数の考え方、風習、生活習慣、異なる部分を持ち合わせる個体を畏怖し、避けるか排除をしようと動くものだ。
今回、それがはっきりと表れてしまった。
彼女はクラスで完全に異端者だった。
「そうだな。確かに大変だった」
奏汰はポケットに手を突っ込んで、つまらなそうに車道の中央分離帯を目で追った。
でも、皆も酷い。友里は何も悪くないのにという言葉を嚙み殺した。
彼だって本当は分かっている。
誰もが友里を怖がることを。
しかし、憤りもある。
何もしてい彼女に疑いをかけ、避けていることに。
これほど噂に踊らされやすく、簡単に人を疑うものなのかと奏汰は思った。
それよ察した友樹は、励ますように言った。
「なぁ、奏汰。他の奴らの言葉はどうでもいい。お前は、いつもみたいに小黒のそばにいてやれ。何かあったら、俺か、花蓮に相談してくれ。あいつもきっと力になってくれるぜ」
こういう時、持つべきものは友という言葉が生まれた理由が奏汰には今はっきりと分かった気がした。
友樹という人物は情に厚く、友達思いであることが良さであり、この件でも遺憾なく発揮された。
友里を心配して気疲れしている奏汰にとってこれほどありがたい言葉もない。
「ありがとう。困ったら相談するよ」
「約束だぞ。っと。もう家か。じゃあまた明日」
十字路の角。
白く真新しい家に『AIZAWA』と書かれたお洒落な表札がポストに取り付けられており、友樹はその家の小さな階段に上った。
茶色いドアの取っ手に手をかけ、「またな」と軽く手を振ると、家の中へと入って行った。
友樹と帰るときはいつもここで別れる。
友里と奏汰の家はこの道のさらに先にある。
ここからは、一人で帰ると静かな帰り道。
車通りは数分に1台通るかどうかだ。
「俺も帰るか………」
今日はやけにリュックの荷が重たく感じるなと、ふと、そんなことを思いながら、歩き始めようとすると、か細く可愛らしい少女の声が奏汰を呼びかけた。
「あ、お兄さん」
顔を上げると、そこには中学生の制服を着た女の子が立っており、学校指定の黒い鞄を背負っていた。
トレードマークというほどでもないが、飾り毛のない鞄には、キラキラと光るアクセサリ。
それは、白いクマが微笑んでいる可愛らしい絵が刻まれたアクリル板であり、赤い紐で鞄の端に繋げられていた。
その女の子の黒い髪はショートに切られており、小動物のような雰囲気のその子は奏汰の瞳を見つめていた。
「やあ。霞ちゃん。学校帰り?」
「はい。お兄さんも帰りですよね。一緒に帰りましょ」
そう言って、奏汰とその少女は横に並び、沈んでいく太陽を背にして歩き始めた。
真中霞(まなか かすみ)。奏汰と友里の家の近くに住む中学2生の彼女は、昔、その声と小動物的振る舞いから同じクラスの女子生徒たちに虐められていた。
泥を頭にぶつかられたり、男子からさえも石をぶつけられたこともある。
その度に奏汰に助けられて、以来、ご近所ということもあって度々話す仲になっていた。
下校路も被っているので、時間によってはこんな風に合流することがある。
霞の中学校に通う生徒たちも成長してきて、徐々に彼女に対する虐めは減っていった。
いや、今まで表面的に行われてきた虐めが、今度は隠れてしかもより些細な嫌がらせが行われるようになった。嫌がらせと言っても、同じクラス男子はどこかよそよそしくなった程度で、女子の方も一部を除けば大半は優しく接してくれている。
中学生という多感な時期にこれだけこじれた人間関係に陥りながらも、こんな風に健気にも学校へ毎日通っているいるのは、偏に彼に会えるのを期待しているからだろう。
「学校帰り?」
「はい。…………あの」
また、か細い声。
「ん?」
心配そうな表情を浮かべ、霞はおずおずと口を開いた。
「なんだか、元気のないように、見えます。何か、あったんですか?」
奏汰はハッと、自分の顔を触った。
筋肉が強張っている気がした。というよりかは凝り固まっていた。
「高校、大変なんですか?」
「いやいや、そんなことないよ」と手を空中で煽った。「ただ、今日はなんとなく気だるい感じがするってだけで………」
「体調が悪いとか?」
「いやぁ、そういう訳でも………」
はっきりとしない返答に、霞は首を傾げた。
「そういえば、友里先輩がいませんね。今日も休みですか?もしかして、それで悩んでいるとか?」
図星だった。
彼女は友里と奏汰の後輩に当たるが、面識と言えば帰り道にたまに遭遇する程度でしかない。
それでも奏汰とだけは交流を持ち、自ら進んで会話を繋げようと常に試みている。
逆に言えば、あまり学校へ登校せず、登校したとしてもずっと奏汰のそばにいる友里に対しては少なからずの苦手意識を持っていた。
それでも、思っていることを素直に口に出すわけにはいかなかった。
じーっと奏汰を見つめる霞に対して彼はただ「え~と………」と視線を反らして、自分が何を答えるべきかに思考を集中させることしか出来なかった。
霞は諦めたように、ため息を漏らした。
「無理、しないでくださいね」
「無理はしていないよ」
「いつもはもっと明るく笑ってくれるのに……………」
霞は隣を歩く奏汰にすら聞こえないぐらい小さな声で呟き、沈んだ表情になった。
なんだか少し気まずく感じて、お互いに黙ってしまった。
緑の生い茂った垣根を通り過ぎて、ようやく奏汰の家に近づいてきた。
「じゃあ、またね。霞ちゃん」
「はい。あの……………」
「ん?」
「何か困ったことがあったら、いつでも相談してくださいね?」
霞は精一杯、明るい笑顔を浮かべた。
「あぁ、うん。ありがとう。気を付けて帰ってね」
口調を普段友達に接するようなものではなく、より砕けて、丁寧に振舞った。
自分の家へと帰る霞の背中を見送った。
「俺の方が年上なんだけどな……………」
年下の女子に励まされたことを恥とまではいかないが、自分がもっとしっかりしなければいけないということに気づかされた奏汰は、心を入れ替えるかのようにはぁ、と一息吐いて、友里の家のドアノブを開けた。