僕はイオの手を引いて廊下に出ると、先ほどの部下の人が後ろで制止しているのも聞かづずに歩き続けた。
後ろで何か話し声や、叫ぶ声が聞こえたけど、それもすぐに止んだ。
僕らは気にせずに、歩み続ける。
「ごめんね、イオ。嫌な思い、させちゃったよね」
「私は大丈夫ですよ。安心してください」
イオはどこか嬉しそうに、笑顔で答えた。
さっきまでと違って、なんだか安心したような心地だった。
二人を道具と言われて、悔しかったし悲しかったんだ。
胸が締めつけれらるみたいで、とても苦しく感じた。
でも、今はイオのこの表情と声で、なんとなく自分がしたことは間違っていないと思った。
「戻ろっか」
「はい!」
誰もいない廊下には、僕とイオの足音が二つ。
等間隔に配置されたドアは、どれも個室か何かに繋がっているようで僕らは素通りした。
右にはイオ。僕は彼女の手を握っている。
……握っている?
さっきからずっと握っている、イオの手。
僕より小さい、きっと肌荒れすらもない綺麗な手だ。
この手で、僕を守ってくれたんだ。
そのことを意識しはじめると、なんだか急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
どうしよう、離そうかな……でも急に手を離すのも不自然だよね。
イオの顔をちらっと見る。
彼女は僕と目が合うと、ニコッと微笑み返してくれた。
理由は分からないけど、心臓が大きく跳ねた気がした。
前に繋いだ時はこんなことなかたのに……。
もともと顔は整っていているし、緑色の綺麗な瞳には誰もが釘付けになってしまうだろう。
たまらなくなり、そっぽを向いてしまった。
うるさいくらい鳴り続ける心臓の音を聞きながら、結局、離すこともできないままイオと歩いた。
「ご主人様、複数の足音が近づいてきます」
「え?」
イオはいきなり立ち止まったかと思うと、廊下の向こうにある角を睨んだ。
「前と後ろから人が接近しています」
僕も耳をよく澄ませてみる。
誰かが走ってこちらに向かってきているような足音が聞こえてきた。
それだけじゃない。何か金属音も微かに足音と共に近づいている。
しばらくすると角から茶色い防弾チョッキらしきものを身にまとい、銃を持った人が現れた。
前から五人、後ろから五人。
彼らは瞬く間に、僕とイオを囲みこんだ。
誰もが銃を向けている。
「……何のつもりですか」
その質問に返答する者はいなかった。
一瞬で理解した。この人たちは僕らを生かして返すつもりはないのだと。
当然だ。最強の破壊兵器の持ち主が、まだ子供で、しかも自分たちの要求を拒んだのだから。
どうにかしてコスモスを奪うか、持ち主(ぼく)を殺すか。
危険な芽はあらかじめ摘んでおきたいはずだ。
僕は覚悟を決める。
本当は僕が守らなきゃいけないのに。
イオを守るって自分で言ったのに。
「……イオ、この人達の相手をお願い。殺さなくていいから」
「了解!」
僕は地面に伏せた。それと同時に、緑色だった瞳を紅く輝かせたイオは両腕を振り回し、戦闘員たちの銃を叩き落とし、さらには風圧で彼らの体勢を崩した。
「コスモスに乗れるような、どこか開けた場所にいかないと」
「そういうことでしたら、お任せください!」
拳を握り、イオは廊下の壁を殴りつけた。鈍く大きな音がした途端、壁は崩れ、塵が廊下中に舞った。
「行きましょう、ご主人様!」
「あ、うん」
散乱した瓦礫を飛び越え、用途の分からない部屋に入った。
「いたぞ!捕らえろ!」
「くっ!なんて化け物だ!」
「女の子の方は殺して構わない!男の方を捕まえろ」
追手である戦闘員たちは僕らを見つけては銃を構え、何発か発砲してきた。
イオがその銃弾が僕の身体へ直撃する寸前のところで止めてくれて、怪我はしなかった。
そんなわけでひたすら逃げながら、僕は腕時計の縁を捻り、コスモスを呼び出した。
「コスモス、来て!」
「命令を受諾しました。緊急発進します。到着までしばらくお待ちください」
「イオ、屋上に行こう。コスモスが来てくれるまで時間を稼ぐんだ」
「はい!ご主人様」
建物内を僕とイオは走って逃げ、その後ろを大勢の戦闘員が追いかけている。
ずっと走っててクタクタになった足を引きずって階段を駆け上った。
息が苦しい。やっと屋上に出た。
どうやらこの建物は大都会の中にあるようで、周りには不思議な形をしたビルが並んでいた。
そこから見えるずっと向こうの山々を、目を凝らしてじっと見つめる。
後ろからバタバタという足音。銃を構える音。
もう追いつかれてしまったようで、振り返ると複数の戦闘員たちが僕たちに銃口を向けていた。
こんな開けた場所じゃ、どこにも隠れられる場所なんて無い。
イオは僕の目の前に立ち、バッと両腕を広げ盾になろうとした。
その時、聞き覚えのある汽笛と同時にビルとビルの間を縫うように走ってくる細長い物体が見えてきた。
「コスモス!」
ブレーキをかけたのか空中で車輪が火花を散らし、コスモスは客車のドアが屋上の床と同じ高さになるように、停車した。
「お待たせしました、マスター」
コスモスの落ち着いた声が響いた。列車の外にいても声が聞こえるんだ。
「ううん、全然大丈夫だよ。むしろ丁度だったよ」
「な、何だこれは?!」
戦闘員のうちの誰かが言った。
誰もがこの巨大な機関車に怯えている。かろじて銃は構えているが、その手は震えている。
「家族です。貴方たちの社長が欲しがった……。僕の大事な家族です。行こう、イオ」
僕とイオはコスモスの2両目の客車の乗降口に足をかけた。
「ま、待て!」
誰かが発砲した。でもその銃弾が僕に届く前に、乗降口の扉が閉まった。
その後も彼らは何発か銃弾を撃ったが、コスモスの装甲の前には無力だった。
「出発して」
「了解しました。発車します」
もう一度、長くて力強い汽笛がビルが立ち並ぶ街に鳴り響き、動輪がゆっくりと動きだした。
さっきまでいた屋上がみるみるうちに小さくなっていき、戦闘員たちの影も判別できなくなっていった。僕はあの建物を睨んだ。
山を越え、川を越えようやくいつもの景色が見えてきた。
コスモスは汽車でよくあるような車輪の軋む音を響きながら、ハンザの家の近くに停車した。
乗降口から降り、草原に足をつけるとすぐにハンザが僕のそばへ駆けてきた。
「慶介!!大丈夫だった!?何かされなった?脅されたりとか」
ハンザは僕の肩を掴みぶんぶんと前後に揺らしている。
「僕は大丈夫だよ。なんとかね」
「いきなりコスモスが走りだしたからビックリしたよ。何があったんだ?」
「……コスモスとイオを、渡せと言われたんだ」
「なっ!?」
ハンザはひどく面食らったような表情のまま、一瞬だけ固まった。
「そんな要求をあいつらはしてきたの……?」
そしてじわじわと怒りの表情を露わにしてきた。
僕の肩をつかむ力が強くなっていき、腕の血管が浮き上がっている。
「ご主人様は、断ってくれました。私とコスモスを守ってくれたんです」
僕の代わりに横からイオが答えてくれた。
その表情にはどこか満足そうに見えた。
「そっか。とにかく2人が無事でよかった」
安心した表情でゆっくりと肩から手を離した。
「でも、これで無関係じゃなくなった。僕はあの会社に目をつけられちゃった」僕はハンザの目を見つめた。
それに応えるように、ハンザも僕を真剣な眼差しで見つめ返した。
「大丈夫、なんとかする。コスモスを隠せるような所を探すし、皆には二人を匿うように言うから安心して。絶対に守るよ」
「でも…」
「俺もあいつらのやり方に腹が立ってるんだ。それに言っただろ。これは俺たちの問題なんだ。慶介は気にしないでここにいるといい」
周りでは機械音のような、ピロピロピロという音が規則的にリズムを刻んでいる。
この世界にしか生息していない虫らしい。
数秒の間、僕はその音を聞きながら無言で考えた。
そしてゆっくりと口を開き、自分の考えを伝えることにした。
「………ううん。僕らが出ていくよ。あの人たちからすれば、僕らはかなり厄介な存在だと思うから」
「どうしても行くのかい?」
「うん。……色々、ありがとう」
「じゃあ、せめて今夜ぐらいは、一緒にご飯食べようよ。せっかく友達になったんだからさ」
「分かったよ。それじゃあ、そうしようかな」
「うん。家で上がっててよ。イオちゃんも」
「お邪魔します」
その晩、僕とイオはハンザの家で、ちょっと豪華な夕飯を食べた。