コスモス第2章3話「亜光速」

 普段のコスモスでは起こり得ない振動に立つことも出来ず、座席にしがみついていた。僕の周りに配置された座席たちがカタカタと恐怖に震えあがっていた。

 異常。

 それが今もっともふさわしい言葉だった。しかもGまでかかっていて、車両後方に身体が持っていかれそうになっている。こんな事があったのは過去に一回。ハンザの世界での戦闘で、今回のように前進一杯をだした時だ。でもあの時はとても短い時間だったから、こんな風に立てないほどになることはなかったし、恐怖の時間が長続きすることもなかった。あの時だったら、平気で歩いて移動することも出来たと思う。でも今は違う。僕は歩けなかった。

「コスモス………!何で………!こんなに……!揺れているの………!?」

 僕の声は震えていた。それは恐怖によるものじゃなかった。いや、恐怖も入ってはいるけれど、でも要因は別にあった。

「申し訳ありません。ただいま、生命維持機能を全力稼働中ですが、この速度に対応しきれていません。現在、亜光速で走行中です」

「あ、亜光速!?」

 コスモスの声も震えていたけど、それははっきりと聞こえた。

 亜光速、それは光に近い速度。現実的にそんな速度に達するような乗り物を僕は知らない。コスモスがその速度を出しているというのだ。列車である彼女が。超非現実的な彼女なら、確かに出来ないことじゃないかもしれない。でも、それにしたってあまりも現実離れしているように感じた。いや、そんなことに一々気を取られている暇はない。コスモスがどれだけの速度を出しているかよりも、この状況を早く終わらせてしまいたい。

 怖いんだ。ただひたすら怖い。ジェットコースターみたいに風が直に顔に当たっているわけじゃない。しかし、これはジェットコースターや他のどの絶叫系マシンにもない生きるか死ぬかの恐怖を今、体感している。ただの人間である僕に出来ることは、歯を食いしばって、今この身に起きている生死を問うような恐怖感に耐えるために、目をつむり、歯を食いしばる。生きている心地がしない。もしも何かこの超空間に巨大な戦艦のような障害物があって、運悪くあたったりしちゃったら、たとえこのコスモスが強力なバリアーを持っていて、頑丈な装甲で車体が覆われていたとしたも、中にいる僕たちは無事で済むのだろうか。いや耐えられる自信がない。きっと僕は死んじゃうんだろうな……………。

 ……………厭だな。死にたく、ない。死にたくないよ……………。

 冷や汗が額か流れ、岩に行く手を遮られて二手に別れて流れる河のように、鼻の横を流れる。

 イオは……?!イオは、無事?!

 僕と違って彼女は人間じゃない。僕よりもずっと身体が強くてたくましい。心配なんていらないようにも思える。でも、そんなことよりも、イオの声がさっきから聞こえない。うっすらと目を開けると、イオは身体を床につけて伏せている。恐怖、というよりはただ単に揺れていて立ち上がれないでいるといった印象だ。

「イオ!!大丈夫!?」

 僕の声は恐怖とは違う理由で震えながらも、それでも彼女に伝わったようだ。

「私は大丈夫です!」

 イオの声も同様に震えて聞こえる。

 急いで彼女の方に行きたいが、それも出来ない。

 固い床に膝をつけ、ひたすらに座席の背もたれにしがみつく。

 身体を起こして、レーダーの反応を表す画面を確認してみたけど、何も映し出されていない。この速度によりかなり引き離すことが出来たのか、或いはステルス性能のせいだ。多分、ステルス性能の影響の方が、可能性が高い。ということはまだ安心できない。この異常な状況はまだ、続くんだ。

 コスモスの目ともいえるメインモニターは前方の外の景色を映し出してくれるはずなのに、今はただ白いキャンパスのように、何も映っていない。

 激しい揺れに酔いそうになりながらも、それでも必死に耐えていると、ブーブーブーとさっきとは違う何かの危険を知らせるブザーの音が耳を刺した。

「今度は……!どうしたの?!」

「ご主人様!圧縮機関に異常が!」

 イオの悲痛な叫び声が指揮所内に響き、僕は背景を映すメインモニターに視線を戻した。それまで白かったはずのモニターは、今度は機関車両の見取り図が出てきて、ボイラーのところが赤く点滅した。思考を巡らしてみて、行きつく考えは、これがコスモスの主機関にダメージが入っていることだった。

「ご主人様!このままだと……………このままだとコスモスが壊れちゃいます!!」

「まだ大丈夫です。マスター」

 イオの叫びに対して、コスモスは余裕を装って返事をしたけれど、その声は少し、いやだいぶ苦しそうだ。

 前進一杯という機関の故障なんてものを考慮していない速度。しかも亜光速なんてものを出している。さすがのコスモスもこれには耐えられない。機関がもう限界に近いんだ。

 僕が、彼女に、無理をさせてしまったのだ。

 考えろ。考えろ。考えろ。どうすればいい??僕は今、何をしなきゃいけない?!減速しなきゃ!でも、敵に追いつかれちゃうかも!

 僕は考える。

 敵はこの速度について来れているかが分からない。もしかしたら今もコスモスの後ろについていて、ミサイルを撃つ機会を狙っているかもしれない。

「ご主人様……!コスモスの機関が…………!」

 ダメだ。迷っている暇はない。ここで、彼女を、コスモスを失いたくない。僕の旅を終わらせるわけにはいかないんだ。

「コスモス!減速して!!どこか適当な世界に入って!」

「かしこまりました。ブレーキ出力30%。スキャン開始、最寄りの世界を検索します」とコスモスは近くに存在する世界の検索を始めたらしく、また減速もしているようだった。「…………エラー。速度が速すぎます」

「もっと減速して」

「でも、これ以上減速したら、敵艦に追いつかれる可能性が…………」

「いいから!今はコスモスが壊れないようにすることが優先!!お願いだから減速して!!」

「…………かしこまりました。さらに30%減速」

 キイィィィィィィィィィと金属が擦れるような、甲高い音が部屋に響き、棘を刺すみたいに僕たちの耳をついた。ブレーキをかけているんだ。

「やっと検索できます。イオ、手伝って」

 イオは頷くと、デスクの縁に掴まりながら、姿勢を低くして、やっとのことで右端の座席についた。細い指が、タッチパネルを次々とタップしていき、その動きに合わせて彼女の目の前にあるモニターの表示が切り替わっていく。

 揺れが幾分か落ち着いてきた。これなら僕も立てる。床を這うようにしながら、自分の席に座った。

「候補が5件見つかりました」

 サブのモニターの中に雄大な山の風景やら、高層ビルの景色やら、海中にある神殿やらの写真が並べられた。

「マスター。どの世界に致しますか?」

「とにかく、コスモスが着陸できそうな場所……………」僕は少し考える。「左の写真のところに行って」

「かしこまりました。速度、さらに30%減速します。掴まってください」

 前方に広がる超空間に、大きな穴が開いて、コスモスはその中へと走っていった。トンネルというにはあまりに短く、その超空間から世界へ入るトンネルを抜けた先は、海にも似た、青い空だった。

「現在、第3戦速。走行装置には損傷はありませんが……………」

「敵は来てる?」

「今のところ敵影はありません」

 イオがレーダーの反応を映すモニターを確認した。

 よし、とにかくこの世界で一回隠れてやり過ごそう。コスモスの機関の修理もしなくちゃいけないし。

 下方には山々が連なっており、コスモスはその上空を通り過ぎているようだった。

「コスモス、停車できそうなところに停車して」

「了解しました」

 コスモスは徐々に下降していき、渓谷に自身の身体を滑り込ませるようにして入って行った。車体のすぐ横には灰色の岩の壁。緩いカーブに差し掛かったところでまた減速した。

「緊急停止します。マスター、イオ、掴まっていてください」

 身体が一瞬、ふわっとした。

 列車は瞬く間に減速し、キイィィィィィと甲高い金属を上げてついに止まった。

 直後に、シリンダーの排水口からは白い煙のように水が勢いよく噴出しているのが映像越しに分かった。

「停車に成功しました」

 コスモスの声に、僕はぐったりと背もたれにもたれ掛かった。

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