コスモス第2章7話「敗北」

 装飾品を多く取り扱う店に並ばれた、鮮やかな品々を何度も何度も慎重に見比べた。棚に並べられた物の数々、どれも誰かに送るには最適そうに思えた。これなら、女性だけでなく男性もこの装飾品をつけて歩きたいと思うのではないのだろうか。

 店の店主は中年ぐらいの女性で、やせ細ってはいたけれど血色はよく、ずっとニコニコして品を選ぶ僕を見守ってくれていた。

 こういう飾りの良し悪しが分からない僕は悩みに悩んだ後で、女の子はどんな贈り物をしたら喜ぶのかを尋ねた。店主は5つくらいの商品を見せて、明るい声で細かな特徴まで紹介してくれた。それらは本当にどれも綺麗だった。そのうちの3つは予算的に買うのは厳しかった。

 悩んだ末、銀髪のイオに似合いそうな、青い花の髪飾りを買う事が出来た。

 これで喜んでくれるかは分からないけど、でも………。喜んでくれたらいいなあ。

「ありがとうございました」

 僕は店主に軽くお辞儀をして場を後にした。

 買った髪飾りを見つめて、これを受け取るイオの反応と、実際に着けた姿を想像してみた。多分、きっと似合ってる。そしてそれを着けて笑う姿も想像できる。ただ、不思議なことに、イオのそんな姿を想像しただけで、僕の顔がほんの少し、熱くなったような気がした。少しの期待と不安を感じながら、壊れないように気を付けてそれをポケットにしまった。

 さてと、イオとあらかじめ決めておいた合流地点に向かおうと歩きはじめた。建物と建物の間を通り抜け、道端に座り込む、ボロボロな服を着た人たちには視線を向けないようにしながら大通りに出る道を進んだ。とその時、老人のしわがれた声が後ろから僕を呼び止めた。

「ちょっと……そこの坊や。聞きたいことあるのだけど、よろしいかね?」

 突然のことに一瞬驚きつつも、何か困っているのかもと振り返った。

 そこには腰の折れ曲がった、背の低い老婆がわなわなと震えて立っていた。

 この街の住人と同じような服装をしているけど、濃い紫色が色褪せたようなボロボロな服からは、とても裕福な家柄の人とは思えなかった。

 声をかけられ、無視をするわけにもいかなかったから「どうされましたか?」と目線をその人と合わせるように、少し屈んで訊ねた。
「ここの店に行くにはどの道を行けばいいかね?ここに来るのは初めてでね」
 老婆は何かメモのような、いかにも古い紙切れを見せて言った。
 僕もここに来るのは初めてなんだけどな………と思いながら、結局はそれを確認した。
 メモにが何かの文字らしきものと、簡単な地図が描かれていた。
 この配置……………たしかイオとお菓子を食べたところにあるお店の配置に似ているような気がする。
「多分あっちの角を曲がって、真っ直ぐ行くとあると思います」
 僕は出来る限り伝わるように、身振り手振りで教えた。その一つ一つに、お婆さんはうんうんと頷いていてくれた。
「赤いテントが張っている店が目印です。その向かい側にあると思います」
「あっちの角ね?ありがとうね」
「いえ。お役に立ててよかったです」
 イオのプレゼントを探すために何度も同じところをうろうろしてて良かった。お土産によさそうなお店について教えてくれた街の人にも感謝しなきゃ。
「あら?あれは何かしら?」
 老婆は僕の斜め後ろを指さした。
「なんですか?」
 僕もその方向を見ようとした。
 ━━━━その時。
「避けてください!!ご主人様!!」
「え?」
 聞き覚えのある声がした。と同時に一瞬、風が首筋を走った。視線を戻すと、目の前にいたはず老人の姿はなく、代わりに銀色の綺麗な髪をした少女が方足を高く蹴り上げた体勢でそこに留まっていた。
 イオが老人を蹴ったのだと理解するのに時間はかからなかった。
 彼女の瞳は、何故か紅く輝いている。そのことに気づき、僕は慌ててイオの身体を腕で抱きしめるようにして押さえた。
「何してるの!敵じゃないよ!!」
「あの人、ご主人様に何かを打ち込もうとしてました……!」
 イオは鋭い目つきで老人を睨みつけた。
 何を言っているか一瞬では理解できなかったけど、怒気を含んだ表情で、真面目だということは伝わった。嘘やふざけている様子はなかったし、そもそもイオがそんな事をしないのは僕が一番知っているんだ。
 だからこそ、その老人を見るのが怖かった。
 見たくないという感情を抑えて、恐る恐る、少し離れたところに立っているであろうその老人の方を見た。日差しにより出来た建物の暗い影には、先ほどまでのわなわな震えて弱々しい姿はなく、イオに蹴られた後の老人はしっかりと背筋を伸ばして不気味に笑い、立っていた。老人の手には先の尖った針らしきものが見えた。
 それを見て理解した瞬間、身震いした。
 もしもイオが止めてくれなかったら、あれで刺されて、下手をしたら僕は死んでいたかもしれないのだ。その事実は、全身から嫌な汗を噴き出させ、恐怖で身震いさせるのに十分すぎるほどだった。
「私のご主人様に、何をしようとしたんですか!!」
 珍しく声を荒げて、噛みつくようにイオが問いただした。
「……もう少しだったのですが」
 声が変化していた。それはずっと若々しく落ち着いた声で、どちらかと言うと少女のものの気がする。
 老人から少女の声が発せられる、とても奇妙な光景だった。ゆっくりと片手を自分の顔に当てると、爪を立てて自身の顔の皮をベリッとはぎ取った。
「変装用のマスク………!」
 あれがあの老人、いやあの子の本当の姿だろうか。
 マスクの下から露わになったのは可愛いらしいというよりかは美人よりの顔立ちで、イオと同じくらいの年齢の女の子だった。
 闇に染まりそうな真っ黒な髪は後ろで束ねられていて、対照的に白い肌がよく映えている。
 そんな姿とは妙にアンバランスな、スパイものの映画でよくある、全身を包むスパイスーツみたな服を着ている。
「貴方があの列車の持ち主(マスター)でしょう?」
 少女は低く、でもはっきり聞こえる声で訊いた。
「コスモスのこと?」
「ええ。その、コスモスという列車の持ち主(マスター)である貴方を捉えるのが私の任務です。本当は眠らせて連れ去る予定でしたが…………。仕方ありません」
 そう言うと少女は黒い瞳をイオと同じ様に紅くして、僕を殺しそうな勢いで手に持っていた針を、まるでサーカスのナイフ投げのように投げた。
「うわ!!」
 とっさに両腕を顔の前で交差させて防ごうとした。腕にも顔にも痛みはない。身体のどこもい痛くない。針の先端が腕に当たる寸前で、イオがそれを器用に掴んでくれたのだ。
「あ、ありがとう」
「下っていてください!ご主人様!」
 反撃するために、イオは相手の元へ飛び出してしまった。
「ちょっと待っ………!!」
 手を伸ばして呼び止めようとしたときには、すでにイオの姿は目の前にはなく、少女と戦闘を開始していた。目に見えない速度だった。
 イオは少女の顔を殴りつけようとした。その動きは単純明快で、まさに相手を力の限り叩きのめすためだけの攻撃だった。
 普通の人間なら反応することも出来ずに、吹き飛ばされる。
 しかし、そうはならなかった。少女はそれを紙一重でかわし、腕を振って反撃したのだ。
 少女の攻撃を左腕で防いだイオは足を大きく振り上げ、そして勢いよくおろした………かかと落としだ。
 しかし少女は臆すことなく、またも紙一重でかわし、的を外したイオの足は地面を割った。
 かかと落としを避けられたイオは一瞬バランスを崩し、その隙に少女は姿勢を低くしイオの足を掴んだ。そのことに危機感を感じたのかイオは逃げるためにもう片方の足で蹴り、体勢を整えた。
 少女はイオと同じように速く動き、なおかつ地面に伏せたり、飛び跳ねたりして攻防を繰り広げている。どう見てもあの少女は何か体術を心得ている。しかも戦闘経験がある動きだと思った。その速度はどんどん増していき、もはや目で追えなくなっている。
 助けに入りたい……………でも、僕じゃ足手まといだ。彼女たちの戦闘はもう人間の動きじゃない。それに僕には、特別な何かがあるわけじゃない。この世界の人みたいに魔法が使えるわけでも、イオみたいに身体能力が高いわけでもない。2人の死闘に僕が入り込む隙間は、完全に無かった。
 気づけばイオは顔を殴られ、お腹を蹴られ、地面に叩きつけられていた。あのイオが押されている……。
 すぐに復帰しようと起き上がったイオだった。しかし少女は顔面を殴ろうと拳を思いっきり突き出した。イオはそれはを防御力するために顔の前で腕を交差させたが、少女は殴るのをやめて、つまり寸止めをして、大きく回し蹴りをしたのだった。パンチへの防御をしていたイオは、対応することが出来ず、腰のところを強く蹴られ、壁に吹き飛ぼされた。レンガ造りの壁はイオが激突したことで、一部が崩壊し、大きな穴が出来た。土埃が舞い、地面には粉々になった破片が散乱した。
 間もなく、頭から血を流しながらイオは大穴の空いた壁の中から出てきた。
「イオ!!!」
「大丈夫です。ご主人様。貴方は必ず、私が護ります。離れていてください」
 頭から流れるを袖で拭きとり、イオは応えた。その視線はこちらに向けられることはなく、相手の動きを一瞬でも見逃すまいと、警戒している。
 少女は、そんなイオの姿を涼し気な表情で見据えている。
「諦めなさい。貴女では私には勝てません。貴女は弱すぎます」
 少女は冷たい視線で言った。
 彼女の言う通りだ。分が悪すぎる。多分相手の身体能力はイオと同等かそれ以上。しかも格闘は向こうの方が遥かに上。
 イオは、このままじゃ、イオは……殺されちゃう!!
 しかし、相手の忠告も聞かずに飛びつくように少女に突っ込んだことで、両者は再び殴り合い始めた。イオは殴りかかろうと腕を一旦引き、顔を突き出してしまった。それを見逃さなかった少女は、下から拳を上げ、顎を砕く勢いで突き上げた。重心がぶれ、よろめくイオの右目を、今度は指で突き刺した。イオは痛そうに目を片手でおさえ、指と指の間から血の涙が流れた。出来てしまった隙を狙われ、イオは攻撃され続けた。反撃することも出来ず、もはや防御するだけになっている。その防御も徐々に崩れていき、何発か脚をお腹を、顔を殴られている。
 留めと言わんばかりに少女によって放たれた渾身の一撃を、お腹に喰らってしまい、痛みからかイオは一瞬お腹を抱えた。瞬間、少女は彼女の顔を蹴り上げた。
 そのまま、僕を護ろうと奮闘したイオは、土の上にドサッと倒れてしまった。
 イオの……………完敗だ。
 少女は尚も冷徹な目つきで彼女を見つめている。
 そして自身の手をイオの頭に添えた。
 このままだと止めをさされる!
 直感でそう感じた。
 嫌………だ。
 嫌だ!嫌だ!イオを失うのは嫌だ!
 イオが殺されるのは嫌だ!!
 イオが死んじゃうのは嫌だ!!
 もう友達が、家族が死んじゃうのは嫌だ!!嫌だ!!嫌だ!!嫌だ!!
 何か!何か武器は!? 
 僕は辺りを見回した。
 何でもいい!!
 時間を稼げるもの!!
 相手にダメージを入れられるもの!!
 相手の注意を引けるもの!!
 その時、服に引っかかるようなものを感じた。
 これって………。
 そうだ!これだ!!
 そう思いたった僕は、なりふり構わずイオを助けるのを優先し、思いっきり息を吸った。
「ねぇ、君!!狙いは僕なんだろう!?僕が相手だ!!!」
 力いっぱい叫びながら、近くにあったレンガの瓦礫を少女に投げた。
 少女はひょいっとそれを避けてしまった。
 でも、彼女の手はイオから離れ、臨戦態勢に入った。
 よし、狙い通りだ。
 僕は突っ込みながら立て続けに瓦礫を投げ続けた。
 それら全てを避けた少女はイオから離れてくれた。
 僕は携帯バリヤーを地面に投げ、イオを抱きかかえてその場から離れた。
「逃げれるとでも……」
 そう言いかけた少女は、バリヤーの存在に気づいた。
 少女は逃げる間もなく、ドーム状バリヤーが展開された。
 そう、バリヤーは外界からの攻撃に耐える。
 逆にいえば、内部にいる人間は何もできない。
 30秒間の檻の完成である。
 僕はイオを背負い、とにかく人気のいるところまで走ることにした。
 あの少女はあれだけの強さでいながら、僕を裏道で連れ去ろうとした。
 わざわざ変装までして。
 つまりそれは、無意味に目立つことを警戒してのことだ。
 だったら、このまま人気のある所へ出て、隠れてしまえば逃げ切れる。
 いや、本当にそれで大丈夫なのかな。
 もしかしたら、他の人も危険にさらしてしまうんじゃ……………。
 でもどの道、それ以外に方法がない。
 とにかく今は走らなくちゃ。
 「はぁ……はぁ……」
 恐怖のせいでうまく走れない。
 ましてや誰かを負ぶってなんて、うまく走れるはずがない。
 それでも出来るだけ、逃げなきゃいけないんだ。
 イオをも打ち負かしてしまうような相手だ。
 どう考えても僕なんて瞬殺されてしまう。
 僕もイオも、ここで死ぬわけにはいかないんだ!!
 人の声が聞こえてきた。
 もうすぐ、もすぐで人が大勢いるところに出られる。
 後ろを振り返ると、すでにバリアーは効果が切れてて、例の少女がすぐそこにまで迫っていた。
「うわああああああああああああああああ!!!!!!」
 僕は思わず叫んだ。
「そこで何をしている?!」
 勇ましい声とともに黒く艶のある髪を後ろで結った騎士の影が、僕に手をかけようとする少女を切りつけた。
 しかし、少女は咄嗟の判断でその攻撃を躱した。
 少女を切りつけた女騎士は、そのまま僕らの盾になるよう立ち、剣を構えた。
 彼女には見覚えがある。
「フランシスさん!?」
「ああ、またあったな慶介!」
 快活な声で、こちらに視線を送った。
「事情は知らないが、あの少女が仕掛けてきたんだな?!」
「は、はい。…………気を付けてください。かなり強いです」
「ああ、肝に銘じよう」
 フランシスさんは剣を少女に向けた。後ろ姿だったけど、フランシスさんの覇気は本物であることが感じ取れた。この人なら勝てるかもしれない、そう思えるほどに。確かな強さを持っているんだ。
 このままで分が悪いと少女の方は判断したようだ。背中から、何か黒い球のようなものを出した。
「まさか、手榴弾!?フランシスさん、伏せて!!」
 僕はイオに覆いかぶさり、地面に伏せた。
 フランシスさんは剣を水平に持ち、中段で構えた。
 しかし、それは閃光弾だったようで、辺り一帯が真っ白になった。
「……………くっ!」僕はたまらず目を積むった。
 眩しさが消えた後、再び目を開けるとそこには少女の姿はなかった。
 一体あの子は何者なんだろう…………。
「何があったんだ?」
 フランシスさんは剣を鞘に納めて、こちらに歩み寄ってくれた。
「それが、僕にもさっぱり………。急に襲われて」
「そうか。お前の友達は大丈夫そうか?大分ボロボロのようだが………今、救護班を呼んでこよう」
「わ、私ならこのくらい全然…………」と弱々しく言ってイオは僕の背から降りた。瞳を緑色に戻した彼女は少しふらついた。
「イオ!!」
 とっさに抱きとめると、華奢な身体には、いくつもの傷ができていた。
「………すいません、大丈夫です」
 表情筋を無理やり引きつって笑ったイオだが、どうみても限界を迎えている。素人から見ても分かる。
「大丈夫じゃないよ。一旦コスモスに戻ろ……ね?」
「い、いえ!この程度の損傷なら問題なく活動出来ます!」
「命令」
 少し強い口調で言った。
「……はい」
 さすがのイオも命令されては断ることも出来ないだろう。ずるいと分かってても結局これに頼るしかない。
「僕らは一旦帰ります」
「私が送っていこう。護衛もつけて」
「ありがとうございます。でも、僕達だけで大丈夫です」
 僕とフランシスさんはしばらく見つめ合った。「本物に大丈夫なのか?」と心配する瞳と、必死に自分たちは大丈夫だと伝える意思表示の瞳。
「……………そうか。気を付けて行くんだぞ」
「はい」
 シュンッとしたイオを背負って、僕は装甲車の元へと歩いて行った。
 女の子を背に背負うのは今日が初めてだった。意外と体重があるような気がする。背負っているからすっごく重いなんてことはないけれど、それでも重さは伝わる。
 他の人もこんな感じなのかな。
 なんとか関所まで戻ることが出来、警備兵に事情を説明し、装甲車の置いてあるところまで案内してもらった。
「…………まさか、こんなことになるなんて」
 この世界への好奇心、それがこんな事態を引き起こしてしまった。
 車が進む間、遠くへ来たことへの後悔と、イオのために何もできなかったという申し訳なさで僕の胸は一杯になった。
 

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