コスモス第2章8話「失うもの、得るもの」

 薄暗く静かなファクトリー・カー。何かを創るために設置された機械たちは、動きを止め、じっと息を凝らしている。壁には照明とは違った光が所々に散在していているけれど、どれもこの部屋を照らすほどじゃない。僕は大きな円柱形の水槽を前で1人、立ち尽くしていた。
 水槽の中は緑色の半透明な液体で満たされていている。そんな中、普通はあり得ないけれど、イオが一糸まとわぬ姿で浮かび、両脚を抱えるようにして眠っている。
 襲撃を受けたあとすぐに、僕が怪我をしたイオを抱えて運び込むと、コスモスにファクトリー・カーへと案内された。コスモスが言うには、アシスタント・ヒューマノイドは身体能力が高く頑丈な造りをしている代わりに、再生能力は極端に低いらしい。小さな傷程度ならなんとか修復できるけど、今回のように怪我をしたら人間のように治すことが難しい。だから、コスモスなどの時空列車内の施設で修理を受けないと治らないというのだ。両手足を失っても、首を切られても、この水槽で修理を受ければ元通りになる。その説明を聞いて唖然とした。
 そういえば、と銃に撃たれた時を思い出した。あの時、イオは銃に撃たれたにも関わらず、平気な顔をして立ち上がった。
 身体が頑丈なことは、いいと思う。もし怪我をしても、水槽で治してもらえば元通りになるのも、凄いと思う。どれだけ致命傷となるような怪我をしても治るのだから。
 僕は実感する。気づかされる。彼女は違うのだと。僕たちと同じように普通の人間と同じ姿をして、同じ赤い血を流しても、それでも僕たち人間とは違う。人間は、小さな怪我なら自然に治るし、怪我が酷ければ、完治は難しい。でも、イオはそうじゃない。
 それは、いいこと?それとも、悪いこと?分からない。
 それでも、これだけは分かる。僕は、無力だった。全く、なんにも出来なかった
こうして傷ついた彼女を抱きかかえて、逃げ込むことしか……。
 僕は、全てを彼女に頼りすぎていた。イオだって女の子だ。
 あの時、もし何かしようとしていなければ、もしフランシスさんに会えなかったら、イオは頭を潰されて死んでいたかもしれない。それを考えるだけで、怖くて怖くて、手が震え、唇が震え、脚が震える。
 僕は全く持っての、無力で、足手纏いだった。
「イオ………」
 ボソッと呟いてみる。
 そっと指先で触れた水槽は、冷たかった。
 涙が出てきた。すでに知っているはずの感情だった。何かを、誰かを失うことの悲しみ。僕はまた、それを味わうことになりかけたのだ。
 そして悔しさも滲み出て来る。
 何が……護るだ……。何が……僕が護るだ……。護られてるのは僕じゃないか。イオを護るって決めたはずなのに……。
 僕は泣いた。
 悔しさと屈辱と、失う恐怖の体験に。
 
 
「アシスタント・ヒューマノイド……?」
 僕は散々泣いたあと、ようやく落ち着きを取り戻し、自室でコスモスの報告を結論を聞いた。
「はい。戦闘時に目を光らせることと、身体能力の高さからして、イオと同じアシスタント・ヒューマノイドだと思います」
「そんな子がなんで僕を…」
「分かりません。とにかく今は慎重に動かないといけませんね。アシスタント・ヒューマノイドがいるということは、時空列車もどこかにいるはずですから」
「レーダーに映ってないの?」
「各センサー及びレーダーに反応はありません。もしかしたら、ステルス性に富んだ車両なのかも……。先日遭遇したような……。」
「ステルス性か…………。もしかしたら、あのステルス艦と今回の敵は同じかもね」
「ありえますね」
 コスモスのレーダーでも捉えられないようなステルス性能をもつ列車、イオを圧倒する戦闘能力をもつアシスタント・ヒューマノイド。今回の敵は少し厄介なのかもしれない。
「はぁ……」
 小さくため息を漏らし、僕は背もたれに身を預けた。
 窓の外は暗い。というのも、コスモスは未だ渓谷の底に隠れており、日の光は入ってこないのだ。
「申し訳ありません。マスター」
「なんでコスモスが謝るのさ」
「イオの失態は、私の責任でもあります。しかも、イオをここへ運ばせるような、お手間をかけさせてしまいました」
「いいって。僕も、ほら、無理言って外に出ちゃったし。それに……」
「マスター?」 
「ううん、なんでもない。とにかく、コスモスもイオも悪くない。全部、僕のせいなんだから……」
「マスター」
「うん?」
「イオを、助けてくださり、ありがとうございます」
 彼女は列車だけれど、深々とお辞儀をしている女の子の映像が、脳裏によぎるような、そんな声の調子だった。
「どうしたの、急に」
「私は、イオを妹のように思っています。愛着、といいますか、それに似たものを感じています。おかしいですよね。列車が、こんな……」
「おかしくなんかないよ。こうして話している君は、コスモスっていう、僕の家族の1人なんだから」
「ふふふ、ありがとうございます」
 僕は、運んできたティーカップを口元に近づけた。
 かすかな甘い香り。一口すすると、舌を刺すような痛みが走った。
「熱い……」
 食堂車からここまで3つ車両を移動したのに、まだ紅茶はその熱を帯びている。
 これは、ハンザの世界でイオが貰ってきてくれたお茶。一人で飲むのは何気に久しぶりな感じがする。いつも、旅を始めてからはずっと、イオと飲んでいたから、一人で飲むのはなんだか新鮮な気持ちだった。
 孤独の時間は人間には必要だと誰かが言ったけれど、こんな気持ちになるくらいなら、孤独はいらないな。そう思った。
 自分の座席に深く座り込み、静寂に耳を傾け、一口ずつ、一口ずつお茶を口に含み、飲み込んだ。
 なんとなく部屋を見渡してみた。入り口に向いて配置された机と机、本の置かれていない本棚、お客さん用のソファー以外には何もない部屋だった。もしも、もっと豪華な飾りつけをして、この空間だけを写真で撮っていたら、昔の貴族の屋敷にある、主人の部屋と間違われたかもしれない。
 しかも、この部屋の隣には僕専用の寝室がある。
 ただの中学生である僕には、これらの部屋はかなり勿体ない。
 列車。それも豪華寝台列車にも劣らないような設備を備えた列車。
 このコスモスは、彼女は、誰に造られたかも分からない。そして、イオもまた、誰に生み出された技術なのか分からない人造人間。世の中、本当に分からない。
 ティーカップからお茶が消え去ったとき、僕はそれを机の端に置き、代わりに両腕を交差させて机につけ、まるで不貞腐れた小学生のように、あるいは学校でよくいる男子生徒のように、その腕の上に頭を置いて伏せた。
 目を閉じると、ぼんやりと不思議な絵が頭に浮かんできた。
 その絵は鮮明になったり、また不鮮明になったりと繰り返していくうち、だんだんとぶれて、そしてついには絵の中の物、人、影が動き出した。
 これは、夢。
 意識ははっきりとしないけど、不思議とそれは理解できた。
 何をしていたかは覚えていないけれど、夢を見ていることは分かった。
「………すけ……!また………会えた!…………良かった…………無事で」
 誰かが僕を呼んでいる。女の子の声。それも聞き馴染みのある声。僕はその人に何度も名前を呼ばれていた気がする。会えた?良かった?無事?なんの話をしているんだ。
 暗闇をさ迷いながら、後ろを振り向いた。
 後ろには僕が通っていた学校。
 皆と遊んだ学校。
 友達と過ごした学校。
 突然、瓦礫と化した学校。
 燃える学校。
 そうか、僕は………僕らの世界は………。
「慶介!」
 今度ははっきりと誰かが僕を呼んだ。
「だれ……?!」
 前を向いていても、誰もいない。いや、違う。あれは……光……。なんだろう。どうしようもなく懐かしい。温かい
 そこで、夢から覚めた。
 ぼんやりしながらも、頭は確実に目覚めていった。 

 机に伏せていた顔を上げると、目に違和感があった。

 頬に一筋の水滴が流れる感覚。

 それはすぐに乾いてしまった。

 泣いていた。

 枕代わりにして痺れた腕で目をこする。

 何か夢を見ていたんだろうか。ちょっと、いや、だいぶ虚しい気分だ。

 なんの意味もなく、天井を見つめる。

 時計はないから、正確にどれくらい寝ていたかは分からないけれど、まあ、そんなに時間は経っていないでしょ。

 なんていう風に考えていたら、突然、コンコンと扉がノックされ、思わず肩が跳ねた。

 誰?イオ?

「開いてるよ」

「失礼します」

 扉がゆっくりと開き、1人の少女が入ってきた。

「良かった。回復したんだね。調子はどう?」

「はい、問題ありません」

 彼女、イオの返答を聞きながら、顔から足元まで一通り見てみる。顔や腕や脚にさっきまであった酷い傷が嘘のように、元通りになっている。

 本当に良かった。多分、もうどこも悪くない。コスモスの言う通り、完全に治すことが出来たんだ。

 でも何故か、イオの表情は硬い。というよりこちらの様子を伺っている………そんな気がする。

「どうしたの?」

「………あの、ご主人様」

 俯き気味にイオが僕を呼ぶ。

 その申し訳なさそうな表情からは、いつもニコニコして可愛らしく振舞う女の子でも、殺気に満ちた表情で戦った戦士でもなかった。同一人物とは思えなかった。

「うん?」

「すいませんでした……。私は、全くお役に立てなかったです。」

 両手を几帳面にお腹の前で揃え、深々と、丁寧に頭を下げた。

 ショートヘアである彼女の髪が、地面に向かって垂れ下がっている。

「……………あの時、イオがいなかったら、僕はあの子に連れ去られてた。何されるか分からなかった。ひょっとしたら殺されちゃってたかも…………。だからさ、護ってくれてありがとう。ほら、その、頭上げて?」

 イオは「頭を上げて」という言葉に応じなかった。

 頑なに、頭を下げ続ける。

「でも、結局は逃がしてしまいましたし、フランスさんに助けてもらうことにもなりました……」

 泣き出しそうな声、ではなかったけれど、暗い感情の音色だった。 

「もし助けがなかったら、相手が逃げないで私に止めをさしていたら、私のご主人様を、コスモスのマスターを死なせてしまうところでした。私は、自分の所有者を失くすところだったんです」

「でも、こうして生きている。君が必死に護ってくれたから」

「それは、結果です。私が弱いばかりに、ご主人様を危険な目に会わせてしまいました」

「イオ」

 僕は彼女の名を呼んだ。

「イオ。こっちを向いて」

「ご主人様、私は……」

「お願いだよ、イオ」

「でも……」

「イオ」

 僕は、小さい子に呼びかけるように、出来るだけ威圧感を与えないように、声を抑えた。優しい声色というやつを使った。

 ようやくイオも、顔を上げて僕を見てくれた。

「ほら、僕はこの通り無事で、笑っているよ。君のおかげで笑っていられるよ。僕とイオ、2人が助かったんだからいいじゃん」

 僕は精一杯笑って見せた。

「あ、そうだ」

 僕はある物を思い出して、ポケットから袋を取り出した。

「手を出して」

 イオ素直に手を差し出してくれた。僕はその差し出された小さな手に、袋を乗っける。

「これは?」

「開けてみて」

 イオは折りたたまれた袋の口を開き、中から青い花の形をした髪飾りを取り出した。それを見ると、彼女の眼はわずかに見開いたように思えた。驚き、が勝っているのだろう、しばらく言葉にしていない。ハッとイオは何か言わなければならないと思いたったのか、こちに視線を移した。

「きれい、ですね」

「これ、買ってきたんだ。イオに似合うと思ってさ」

 悲しそうな表情がみるみるうちにイオの顔から薄れていく。代わりに優しい笑みが見えてきた。

「ありがとうございます」

 イオはそう言って、金具を指で押さえて、前髪に付けた。

「どうですか」

 ドキッと心臓がなり、身体中の血管が熱くなるのを感じた。

 照明の光を反射するぐらい、綺麗な白い髪に、青い花の髪飾りが映えて見える。想像以上に、似合ってる。可愛い。可愛い……………。

 可愛すぎて、こちらが照れてしまう。思わず視線を外しそうになる。でも耐える。ここで、ちゃんと褒めないと、イオに失礼だ。だから僕は顔が熱くなるのを無視して、精一杯心を込めて言った。

「似合ってるよ。とっても」

「ありがとう、ございます」

 どうやら気に入ってくれたようで、イオは髪につけた髪飾りをそっと撫でている。

 目の前の少女が愛しい。純粋に、そう思った。

 今、この瞬間が、とてつもなく居心地がいい。

 僕の中に、温かい感情があった。その名前を、まだ知らない。

 

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