フカフカなソファーに腰かけながら、僕はイオの隣で、静かに話を聞いていた。
凛音と里久の、辛くて悲しい、なんともやりきれない話を。僕がコスモスに乗って逃げた後の学校のこと、どうやってニ人が助かったのか。どうして旅を始めたのか。
淡々と……淡々と語られていく、もう一つの物語。
話す凛音の表情は、怒っている顔でも、悲しみの表情でもない。感情の読み取れない、真顔。普段感情が豊かな凛音からは信じられないほどだったし、里久も、いつものふざけた調子を殺している。
「……と、まぁ話はざっとこんな感じだ」
話し終えた里久はソファーの背もたれにもたれ掛かり、寛ぎだした。
知らなかった。二人がそんな体験をしていたなんて……。僕は以前、人が死んだのを目の当たりにしたことがある。血なまぐさくて、グロテスクで、まるで僕も死ぬんじゃないかと恐怖に包まれる感覚。その後に訪れる猛烈な吐き気。目の前で人が無くなる光景というのは、時間が経っても鮮明に思い出されて、フラッシュバックする。
気が付けば、僕の瞳は話の生々しさ、痛々しさに潤んでいることに気づいた。僕は大変な目に遭ってしまったと思ったけれど、里久と凛音が遭遇した出来事も耐え難いものだったのだ。
「僕らをアジサイで襲ったのは、コスモスがあの日にいたから……?」
「……うん。情報を聞き出そうとして襲ってもらったの。それにもしかしたら慶介も列車に乗ってたかもしれなかったから。でもまさか慶介の列車だったなんて。ごめんなさい」と言って頭を下げる凛音。
正直、凛音がコスモスを襲うように指示したなんて、信じることが出来ない。凛音といえば、誰よりも他人を想う善人の中の善人なのだ。曲がったことが大嫌いで、人を殺すという発想も、誰かを恨むという思念を抱かない。里久ならやりかねないような気がするけれど、無意味に人を襲うような性格じゃない。
一体、僕たちが会わないうちに、どれだけニ人は変わってしまったのだろうか。
「本当に、本当にごめんなさい」
あまりにも深く頭を下げるものだから、凛音の茶色くて長い髪が床につきそうになった。髪の毛は、以前のようなさらさらな髪ではなく、見るからに傷んでいた。
「いいよいいよ。あんなことがあったんだからさ。勘違いしてもしょうがないよ」
「ううん。本当に、ごめんね?」
「もう、大丈夫だから」
「イオちゃんも本当にごめんなさい!私がナナミにここに連れてくるように言ったの!そしたらイオちゃんに怪我させちゃったみたいで、あんなにボロボロにしちゃって………」と僕の隣にいるイオにも凛音は頭を下げた。
瞳が潤んでいて、なんだか悪戯をして、親に激怒された子供のようだった。
ナナミと初めて対峙した時のことか…………。
あの時のナナミは本当に殺気があるように感じたから、連れ去るというよりは殺されると思ってた。
ちらっと隣を見てみる。
イオは困惑の色を浮かべていた。
「え、えと……。私も大丈夫ですよ。ご主人様がお許しになるというなら、私は気にしません」
「そういう訳にはいかないよ!ニ人には何かお詫びしたい!」
「えぇ!?いいって。大丈夫だからさ」
こういう律儀なところがいいところなのだと思うけど、たまに行き過ぎるところがある気がする。
兎も角、いちど物事を決めると曲げない性格だ。
正直、そこまで申し訳なさそうにされると、こっちもなんとなく申し訳なくなってくるんだけどな……。
「ま、それは後でいいんじゃね」と横から里久があくびをしながら言う。こういう、適当に済ませようとしてくれるところが里久のよさなのだ。これに、何度も救われる。「それにしても映像を見たときはビックリしたわ。ナナミとイオが格闘してんの、なんか凄かった」
「映像?」
「ナナミの耳のところに小型カメラで、2人が戦うところを見てたの」と凛音。
あの時そんなのつけてたんだ…………。
確かに、二人の戦いは凄かった。もはや、人間でありえない動きと速さだったと思う。
「ナナミは凄く強かった。イオも相当強いはずなのに、圧倒されてた」
うんうん、と隣で頷くイオ。
「ありがとうございます」
一人だけソファーに座らず、凛音の横で待機している黒髪の少女が、柔らかい笑顔を崩さず、一言だけお礼を返してくれた。
その子はメイド服がよく似合っている。
「ナナミは座らないの?」
興味本位で声をかけてみた。
「私は凛音様のメイドです。主人の横で静かに控え、必要な時に動くのが役目です」
「そっか」
淡々と答えるナナミの佇まいは、まさにプロのメイド。同い年くらいの見た目であるはずなのに、ずっと大人びた雰囲気を纏っている。この仕事人のような風格の少女に、イオは完全に敗北した。
……イオは、大人の男が束になっても負けることはなかった。
建物の二階や三階だって軽々と飛び越えてしまい、銃弾に当たっても死ななかった。
その人間離れした身体能力で、どんな相手も圧倒してきたのだ。
でも、イオは敗北した。
イオが完全に戦術も格闘術も無い、ただ身体能力を使った動きをしていたのに対し、ナナミのあの動きはどう見ても手練れのものに感じられる。
それが、今、どうしようもなく気になった。
「何か格闘でもやってたの?ナナミ?」
「私は………前の主人に仕えていた頃、戦闘員として訓練されたことがあるんです。実戦にも出ました」
さっきと同じように笑顔は柔らかいけど、その声は全く興味のないことに、無感情で返答しているようだった。
「メイドの姿をしているのは?」
「前の主人のご趣味です。私もこの服装はかなり気に入ってるので、凛音様のお許しを得てこの姿で過ごしています」
彼女の立ち振る舞いは、子供の僕でも上品だと感じさせるほどだ。
「あの、私も質問いいですか?」
横からイオが挙手しながら言った。
「構いませんよ」
ナナミは表情を変えなかった。
「私も、訓練すればナナミさんのように強くなれますか?」
「……なれます。アシスタント・ヒューマノイドはそのように創られています。強くなりたいのですか?」
イオは真っすぐと、ナナミを見つめる。
「はい。私はナナミさんに負けたんです。もし、貴女の主人が凛音さんじゃなく、全く別の人だったら、あのまま止めを刺されてたら、私とコスモスのご主人様を失うところでした」
「……なるほど。確かにそれは貴女にとって重大ですね。訓練プログラムで訓練することと、実戦を積むことをお勧めます」
淡々と答えるナナミに、イオは少々考える素振りを見せた。やがて、意を決したように口を開いた。
「もし良かったら………私を訓練しては頂けませんか?」
「イオ!?」
突拍子もないことを願い出るイオに、僕は思わず彼女の顔を見た。
え?イオが訓練?聞き間違え?いや、でも今確かに訓練って……。
真剣な表情とその緑色の瞳は意志は、一ミリも冗談で言っているではないと訴えていた。
……彼女は、本気だ。
「何を言い出すかと思えば…………。別に私に教わらなくても…………」
ナナミの顔からは今までのような笑顔はなくなり、目をそらしながら困惑した表情に変わった。
「慶介はどう思ってるの?イオちゃんのこと」
「え……?」
突然、凛音は僕に話を振った。
「イオちゃんのことどう思ってるの?一人の女の子?便利な道具?それとも人を殺すための兵器?」
「な、なんで急にそんなこと………」
「私たちが出会った時ね、ナナミは自分自身のことを道具って言ったの。アシスタント・ヒューマノイドは、人工的に作られた命は、持ち主の忠実な道具だって。私は、ナナミを道具になんかしたくない。慶介はどうなの?」
同い年で幼馴染である凛音が、この時ばかりは、子供に何かを諭すような母親のように見えた。真剣な表情、真っ直ぐな瞳。その圧は、これまで彼女からは感じたことがなかった。
急に問われて、僕は里久の方に視線を送り、助けを求めたが、当の本人は肩をすくめた。
ここで、答えを間違えてはいけないと、直感した。
「……イオには何度も助けられた。危ない目に会った時も、困った時も助けて貰っていた」
僕は凛音の真っ直ぐな眼差しに相対し、真っ直ぐ返す。
「でも、僕にとってイオは大事な家族の一人、そう思ってる。道具なんかじゃない」
「じゃあ、そんな子に戦わせる覚悟はあるの?」
「それは……」
ないわけじゃない。そうやって救われてきたのだから。たった一人の、中学生の子供で非力の人間である僕に比べれば、イオはずっと強い。恐らく、異世界で旅をするなら、イオの方が向いているだろう。結果的に、彼女に頼りっ切りになってしまっている。
でも、いざナナミに負けた時、死んじゃうんじゃないかって思った。
僕は怖かったんだ。
イオを失うのが。
戦わせるということは相手の命を奪う代わりに、こちらの命も奪われる覚悟をもたなければいけない。
分かってる。分かってるんだ。
「ご主人様………」
中々返答しない僕にイオはそっとそばによって来て、縋るように僕の眼を見た。
この旅にはイオとコスモスが必要不可欠。
そして僕は2人を護ると決めたのだ。
そうだ。そう決めたじゃないか。
やってやる。
「覚悟ならあるよ、凛音。イオが戦に戦わせる覚悟。そして、僕はイオとコスモスを護ると、二人に約束したんだ」
僕は彼女の目をみた。
「……ナナミさん」
「はい」
「イオを訓練してほしい。……そして、僕にも教えてください。格闘と銃を」
はっきりと、真剣に、相手の目を見つめてお願いした。
「え、そんな……。私は………」
「という訳だから、ナナミ!2人をよろしくね!」
「凛音様、私は………」
「教えてあげればいいんじゃね。ナナミと同じくらい強いやつがいた方がナナミの負担も減ると思うし」
「里久様まで……。私は別に一人でも……」
「ナナミ、お願い、イオちゃんに教えてあげて。慶介にも」
今度は凛音も真剣にお願いする。
お願い、という名の命令に逆らうことは出来ず、数秒の間のあと、ナナミは首を縦に振った。
「………仰せのままに。我が主」
「よっしゃ決まったな」と里久はパンッと手を叩いた。「んで、これからどうする?」
「私は、私たちの世界を壊した連中に復讐したい」
「凛音、それは………」
「分かってる。でもそうしないと気が済まない。あんなことされて黙ってるなんて出来ないよ……」
凛音の瞳は一瞬で暗いものとなった。瞳の奥には、心の奥には、静かで、でもとても熱い怒りの炎が燃えているような気がした。
絶望のどん底を見た人の目だった。
「そのことなんだけど……」
僕は提案をした。コスモスとイオが提案してくれたように。
彼女たちが考えてくれた案を、丁寧に説明した。
凛音と里久、ナナミの三人は僕の話を静かに、時々頷きながら聞いてくれた。
「次元走行列車の持つ、もう一つの能力。時間を超える能力。それを使うのね?」
「でも、コスモスとアジサイだけで足りるか?コスモスが応戦しても地球は壊された。戦力不足が目立つ」
「そこがどうしてもネックだよねぇ」
「そういえば、アジサイは他の列車の情報は持ってるのに……コスモスだっけ?慶介の列車だけは何も知らないって言うんだ」
「コスモスだけ?」
「そう。見たことの無い型式だって」
どういうことだろう。
コスモスは他の列車のデータを持っていないと言う。逆にアジサイはコスモス以外のデータを持っている。
コスモスが新造だれた列車だからデータがない?
そもそも時空列車同士の情報は共有するもの、なのだろうか。
「アジサイと接続完了。データを交換します」
「お、同じく、こ、コスモスとのせ、接続、か、完了、し、しました……」
2人の声が同じところから聞こえてきた。
うん、結構奇妙な感覚だ。
数分後、再びコスモスの声がした。
「情報を取得しました。まずは私からです。マスターの世界を襲撃した車両は、量産型戦闘用次元走行列車トリカブト及び、量産型戦闘用次元走行列車リンドウです」
アジサイの客車に連結されているラウンジカーの照明が消え、窓ガラスがスクリーンとして色々な情報が映し出される。
そこには2つの見覚えのある列車の画像があった。一つは白を基調とし、紫色の屋根を持つ、特急電車のような見た目をした列車。もう一つは、青を基調とした、新幹線のような列車。
「これだ。あの日にコスモスが撃墜したのは」
「撃墜したのか?こいつら」
「うん。コスモスのホーミング・アローって武器で」
「そんな装備はアジサイにはないな」
「え?無いの?」
「ほ、ほ、ホーミング・アローは、コスモスにしか搭載されてない、みたいです」
「おおん」
「詳細情報でます。量産型次元走行列車トリカブト。亜小型圧縮機関搭載。特殊物質複合装甲装備。対艦粒子砲5門、巡行ミサイル発射管4門、対空機関砲15門、バリアー発生装置装備。対高速移動物レーダー装備。最高速度4万kmです」
「って言われてもなぁ」と明らかに興味なさげに、里久はそう漏らした。
実際、列車の詳細な性能を言われたところでピンとこない。
「もう一つの方は?」と凛音は気にすることなく訊いた。
「量産型次元走行列車リンドウ。亜小型圧縮機関搭載。特殊物質複合装甲後期型装備。防御装備としてバリアー発生装置搭載。対艦粒子砲10門。巡行ミサイル発射管4門、対空機関砲15門装備。対高速移動物レーダー及び集団戦術システム装備。最高速度5万5千kmです」
「他の装備とかは正直分からないけど、最高速度がおかしいのは分かる」
「次元走行列車としては標準的な性能です」
これで標準なんだ………。
「ところでマスター」
「ん?どうしたの?」
「そろそろこっちに戻ってきませんか?」
「何かあった?」
「そういうわけではありませんが……」
僕とイオは顔を見合わせ、首を傾げた。
「コスモスちゃん。もしかして……」
何かを察したように凛音は僕の顔を見て、わずかにニヤッと笑った。
え、僕が原因なんですか?
正直、身に覚えが全くないんですが……。
とにかく、コスモスが呼んでいることだし、戻るとするべきか。もうちょっと、里久や凛音といたかったけれど……。
「ご主人様、どうなさないますか?」
「一度、戻るよ」