まぁ、中には店員にメイド服を着せただけという店もある訳ですが、同時にソレは「メイド喫茶とは違う」と思ったりします。
メイド喫茶における、メイド服の役割は、やはりコスプレの延長線上にあるのではないかと。
メイド服は制服の一つとして認識されています。
そんな制服の最も端的な機能は、所属する集団と他者とを明確に区別することでしょう。
それによって装着者の帰属意識を高め、連帯感を醸成させるのに一役買っているはずです。
有名な新撰組が、青と白のダンダラ模様の隊服を作ったのも、出自がバラバラの隊員を統率するためだったと云われていますし、本著に書いたようにメイドという職業においては雇い主との階級や身分の違いを示していると考えられます。
日本では、幼稚園を始めとして学校や職場にも多くの制服が存在していますが、それは多分に機能性よりも、日本人の共通項による安心意識に根ざしているものと思われます。
制服という物のネガティブなイメージは、内向的あるいは鎖国的であり、ポジティブなイメージでは、先の連帯感や対外的な認知の向上でしょう。
それはつまり、私たちは日常、意識などせずに制服を見ることで、装着者の所属や職種といったものを認識し、その存在を了解していて、制服が事物を抽象化した記号として機能していると云えます。
最も端的な例は、銀行など金融関係の窓口業務や案内係の制服。
華やかであるよりも、清潔さを優先しているデザインが多いのは、金銭の取り扱いについて不正が無いことをアピールしているという訳です。
本著では、メイド喫茶に先行した、特定の制服が人気の要因となっている飲食店として、胸の部分が強調されたデザインの『アンナミラーズ』や、明治浪漫を感じさせる『馬車道』などを紹介していますが、通い慣れた常連客には好みの店員が居たとしても、制服を着ているのは個人というよりも企業であり店舗であり、そこには架空でも人格は見て取れません。
それらに対して、店が世界観を持って、店員個人に服装の記号を着せたのがメイド喫茶であり、その点がまったく異なります。
本著の冒頭で早川氏が「もともとはコスプレ喫茶として生まれた。」と述べているように、店員自身が、自らの愉しみのために制服を着るというのは、つまりは『コスプレ』をするということです。
では、コスプレとは何かというと、個人レベルでは、対象となるモデルの本来の内面を知らなくても、その格好を真似することで他者に成り代わり、自身の内面を変容したり外部に変化した自分をアピールすることが愉しみとなる行為のことだと私は考えます。
誰でも今の自分に不満な点や、あるいは不満ではないけれど憧れる存在というものは、多かれ少なかれあることでしょう。
制服のコスプレだけではなく、別なキャラクターの格好になる場合のコスプレは、その意味合いがより濃く深くなる傾向にあるようです。
それは、キャラクターは別な人生とも云える物語を持っているからにほかなりません。
そして、欧米では好きなキャラクターに扮することは、仮面舞踏会にならってマスカレードと呼んでいたのが、今や日本から輸出された和製英語であるコスプレという用語を用いているそうです。
コスプレとは、「コスチュームで遊ぶ」という意味を持たせた造語であり、この言葉が生まれるまでは日本では「仮装の人」などと呼んでいたのが、賛同者を得て定着し、そしてコスプレをする人はコスプレイヤーと呼ばれるようになりました。
そんな日本のコスプレと、欧米でのマスカレードの違いは、そのキャラの格好をした後の行動というか表現の仕方にあります。
欧米のアニメファンのイベントなどでは、仮装した人たちがちょっとした芝居をしたり芸をするというのが主流で、日本ではむしろ止め絵のようなポーズを決めるのが主体です。
日本ではイベントでの写真撮影のためという面もあるかもしれませんが、これが欧米の人たちには新鮮に映ったのではないかとも推察できます。
そして、止め絵であればその練習は比較的容易であり(キャラクターの内面やバリエーションにまで及べば大変ですが)、その容易さもまた作品の人気と共に海外で「コスプレ」として受け入れられた要因かもしれません。
また、欧米人がコスプレという用語を用いるようになったのは、日本のアニメや漫画を愛好するようになった人たちの中に、日本への憧れがあったことも影響しているでしょう。
他にも、絵画において、写実的ではなく輪郭線をハッキリさせたり色の濃淡を少なくすることで抽象的に描くとか、音楽は、欧米では全体のリズムを大切にするのに対して、日本では断片的なメロディーに重点を置いているという説があります。
歌舞伎の見得を切る表現などは、つとに例として出されるくらいで、これはそのまま漫画やアニメにおけるキャラクターのポージングにも影響を与えているように思えます。
特に、ヒーロー物の作品では顕著で、そのポーズだけで、作品名やキャラクター名が分かるというファンも居るくらいです。
当然、そういう人たちの間には連帯感が生まれる訳で、それこそ外国人との間でさえ共感し合ったりします。
その共感関係が、メイド喫茶の人気にも関係したのかもしれません。
メイド喫茶の盛衰については、さらに本著で詳しく解説されています。